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能久親王年譜
よしひさしんのうねんぷ
作品ID46332
著者森 鴎外 / 森 林太郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「鴎外歴史文学集 第一巻」 岩波書店
2001(平成13)年1月30日
初出「能久親王事蹟」春陽堂、1908(明治41)年6月29日
入力者しだひろし
校正者岩澤秀紀
公開 / 更新2008-04-27 / 2016-05-07
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

弘化四年丁未、二月十六日能久親王京都伏見宮第に生れさせ給ひ、満宮と名のらせ給ふ。
嘉永元年戊申、二歳。京都におはす。仁孝天皇の御猶子、青蓮院宮の御附弟にならせ給ふ。
二年己酉、三歳。京都におはす。
三年庚戌、四歳。京都におはす。
四年辛亥、五歳。京都におはす。
五年壬子、六歳。京都におはす。梶井宮の御附弟にならせ給ふ。
六年癸丑、七歳。京都におはす。
安政元年甲寅、八歳。京都におはす。梶井宮第に徙らせ給ふ。
二年乙卯、九歳。京都におはす。
三年丙辰、十歳。京都におはす。
四年丁巳、十一歳。京都におはす。
五年戊午、十二歳。京都におはす。輪王寺宮御附弟にならせ給ふ。一条河原御殿に徙らせ給ふ。親王宣下ありて能久と名告らせ給ふ。法諱公現。
六年己未、十三歳。二月四日江戸東叡山に入らせ給ふ。
万延元年庚申、十四歳。江戸におはす。一身阿闍梨の宣下あり。二品に叙せられさせ給ふ。
文久元年辛酉、十五歳。江戸におはす。御生母堀内氏信子みまからせ給ふ。
二年壬戌、十六歳。江戸におはす。
三年癸亥、十七歳。江戸におはす。
元治元年甲子、十八歳。江戸におはす。一品宣下あり。
慶応元年乙丑、十九歳。江戸におはす。孝明天皇崩ぜさせ給ふ。
二年丙寅、二十歳。江戸におはす。将軍徳川家茂薨ず。
三年丁卯、二十一歳。江戸におはす。輪王寺宮慈性親王病革なるをもて、能久親王職を襲がせ給ふ。尋いで慈性親王薨ぜさせ給ふ。将軍徳川慶喜政権を朝廷に還しまつる。
明治元年戊辰、二十二歳。初め江戸におはし、中ごろ北国にさすらひ給ひ、後京都におはす。是より先き慶喜大阪より江戸に還る。朝廷慶喜を討たしめ給ふ。慶喜東叡山に入る。二月二十一日能久親王慶喜の請ふによりて京都へ立たせ給ふ。親王駿府に至らせ給ひ、大総督宮有栖川熾仁親王の命によりて駕を回らし、三月二十日東叡山に帰り入らせ給ふ。慶喜東叡山を出でて水戸に赴く。大総督宮江戸城に入らせ給ふ。能久親王を城に迎へまつらんとせさせ給ひしに、障ありて果させ給はず。五月十五日官軍東叡山を囲みて彰義隊を討つ。能久親王東叡山を出でさせ給ふ。二十五日親王長鯨丸に乗りて江戸を発せさせ給ふ。これより仙台、白石等に留まらせ給ふ。九月二十日書を白河口なる総督四条隆謌に致させ給ふ。十月十二日仙台を発せさせ給ふ。十一月十九日京都に着かせ給ひ、朝命によりて伏見宮邸に謹慎せさせ給ふ。
二年己巳、二十三歳。京都におはす。十月四日謹慎を解かれ、伏見宮に復帰せさせ給ふ。
三年庚午、二十四歳。京都におはし、後欧洲行の途に着かせ給ふ。是より先き、京都大学に入らせ給ふ。十月二十七日京都を発せさせ給ひ、閏十月二日東京なる東伏見宮第に着かせ給ひ、尋いで有栖川宮第に徙らせ給ふ。能久の名に復らせたまひ、伏見満宮と称へさせ給ふ。十二月三日独逸に留学せんと、横浜を発せさせ給ふ。
四年辛未、二十五歳。伯林におはす。是より…

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