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伊良湖の旅
いらごのたび
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本紀行文学全集 中部日本編」 ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日
入力者林幸雄
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2004-08-10 / 2014-09-18
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 北から吹く風が冷たく湖上を亙つて来た。浜名湖の波は白く一様に頭を上げて海の方へ逆押しに押し寄せる。
 四月の上旬で、空の雲はちぎれ/\に風に吹かれて四方の山へひらみ附いてゐる。明るい光が空を滑つて湖上に落ち、村櫛、白州、大崎の鼻が低く黒く真向ふに見えてゐる。
 新居への渡船を待つて弁天島の橋際に立つてゐた。ギイギイ艫の音を立てゝ一艘の小船が橋の下へ湖水の方から逃げ込んで来た。
「新居へ行く船はまだ出ないかね」と声を掛けると、
「さうさね、今そこへ行つたばかりだがね、二時間ばかりは待たぢやなるめえよ」
「困つたな、何とか他に工夫は無いもんかな」と立つてゐた二人は顔を見合せた。
「一体何処へ行くんだね」と、船首の方の男が、棹を立てながらいふ。
「なあに、伊良湖の方へ行くんだがね、新居よりほかに行く途はないかね」
 私は風に吹かれて思ふやうにならない地図を皺くちやにしながら、捜りを入れるやうに頭の上から言葉を投げた。二人の船頭は橋杭に船を繋いでゐたが、筒袖に股引をはいて、荒繩をしめてゐた方の男が、不意に飛び上つて来て、私に言つた。
「工風の無えこともねえ、私等どうせ遊んでゐるで、渡して上げずか。伊良湖なら新居へ行かずに、この先の浜へ着けりや好いだ」
「そりや好い。何処でも行けさへすりや結構だ、渡して呉れるか」
「ぢや、ちよつと待つて、おくんな」
 船に残つてゐた一人の男が、船から出て橋を渡つて何処かへ見えなくなつた。
 私は又地図を出して、行くさき/″\の様子を訊いた。船頭は太い指を地図の上に出して色々説明して呉れる。
「伊良湖十三里と云つてね、この先の浜伝ひに行きせえすりや、嫌でも行つちまうだ。さうさな、今夜赤羽根ぐれえまでは行けずかな」
「宿屋はあるかね」と、傍に立つてゐた、東京生れのS君が不安さうに口を入れた。
「宿屋つて、どうせ彼方へ行つちやさう好い旅舎なんかねえさ、泊るぐれえなことは出来るけえど」
「大丈夫だ、安心してゐたまへ。どんな処だつて好いぢやないか」
「さうもいかない」とS君はちらつと私の方を見て笑つて言つた。
 間もなく一人の男が帰つて来た。私達はその舟へ乗せられた。
 藻草と海苔粗朶とが舟脚にからむ。横浪が高く右の方から打かゝつて来る。弁天島は黒い松の林に覆はれて湖水と海との間に浮んでゐる。昨夜遅く舞坂の停車場から東海道の松並木の間を、浜松から島へ帰る人を先きにして色々な話を聞きながら通つて来た。その男は宿屋の身内の者だとか言つて、雙方に便宜なやうな話をして聞かせた。道が曲つて、ぱつと眼の前へ浜名湖の夜景色が浮び出た時は、何処か遠い国へでも連れて来られたやうな気がした。漁火の点々として浮んでゐるのと、闇の中に咽ぶやうに寄る波と、橋の向ふに薄白く見えてゐる旅館の壁と、瑞西の湖畔へでも連れ出されたやうな気がした。今朝見ると、明るい日の光の下に、…

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