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短歌の詩形
たんかのしけい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦全集 第十二巻」 岩波書店
1997(平成9)年11月21日
初出「勁草」1933(昭和8)年1月
入力者Nana ohbe
校正者松永正敏
公開 / 更新2006-11-28 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 比較的新しい地質時代に日本とアジア大陸とは陸続きになっていて、象や犀の先祖が大陸からの徒歩旅行の果に、東端の日本の土地に到着し、現在の吾々の住まっているここらあたりをうろついていたということは地質学者の研究によって明らかになった事実である。しかしその頃既に人間の先祖が象と一緒に歩いていたかどうかはよく分らない。
 それはとにかく、日本が大陸から千切れて島国になっても、船というものを造ることに成効した人間は、永い間に、何遍となくそうして色々な方面から日本の国に渡って来たであろう。それと同時に多種多様な民族の色々な文化の流れがこの極東の細長い島環国の中に合流し集注したであろう。従って我等の国語にはあらゆる民族の言語が混淆し融合してしまって、今となっては容易に分析することが出来ないようになってしまっているように思われる。我等の同胞の顔貌の中にはまたあらゆる人種の定型がそれぞれに標本的に洩れなく代表されているようである。
 日本人が真に日本の土の中から生れ、日本の言語が全く独立に発生したと考えるのは、孑[#挿絵]が水から発生すると考えるよりも一層非科学的である。同様に例えば日本の短歌の詩形が日本で始めて発生したものと速断するのも所由のないことであろうと思う。
 五七五七七という音数律そのままのものは勿論現在では日本特有のものであろうが、この詩形の遠い先祖となるべきものが必ず何処かにあったであろうと想像し、その同じ先祖から出た他の家族が何処かにありはしなかったかと想像するのはそれほど唐突な空想とは思われない。
『古事記』に現われた色々の歌謡の音数排列を調べてみるとかなり複雑なものがあって到底容易には簡単な方則を見つけるわけに行かない。九、十、十一、十二、十四等の音から成る詩句が色々に重畳しているというだけしか分りかねる。ただこういうものからだんだんに現在の短歌型式が発生して来たであろうということは、これらの詩の中で五および七の音数から成るものが著しく多数であることから想像される。しかしこれも本当の統計的研究をした上でなければ確かな事は云われない。今ここで問題にしようというのは、『古事記』の中の古い歌謡から現在の短歌への進化の経路を追跡しようというのではなくて、反対にこれらの古い歌謡と先祖を同じくする遠い親類のようなものが何処か大陸にありはしないかということである。
 こういう問題に対して自分は到底喙を容れる資格のないものであるが、ただ手近な貧しい材料だけについて少しばかり考えてみる。
 漢詩の五言、七言の連続も、何かしらある遠い関係を思わせる。例えば李白の詩を見ても、一つの長詩の中に七言が続く中に五言が交じり、どうかすると、六言八言九言の交じることもある。四言詩の中に五言六言の句の混入することもあるのである。
 中央アジア東トルキスタン辺の歌謡を見ると勿論色々な型式…

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