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環礁
かんしょう
副題――ミクロネシヤ巡島記抄――
――ミクロネシヤじゅんとうきしょう――
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「山月記・李陵 他九篇」 岩波文庫、岩波書店
1994(平成6)年7月18日
初出「南島譚」今日の問題社、1942(昭和17)年11月
入力者土屋隆
校正者松永正敏
公開 / 更新2007-06-01 / 2014-09-21
長さの目安約 75 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

   寂しい島


 寂しい島だ。
 島の中央にタロ芋田が整然と作られ、その周囲を蛸樹やレモンや麺麭樹やウカルなどの雑木の防風木が取巻いている。その、もう一つ外側に椰子林が続き、さてそれからは、白い砂浜――海――珊瑚礁といった順序になる。美しいけれども、寂しい島だ。
 島民の家は西岸の椰子林の間に散らばっている。人口は百七、八十もあろうか。もっと小さい島を幾つも私は見て来た。全島珊瑚の屑ばかりで土が無いために、全然タロ芋(これが島民にとっての米に当るのだ)の出来ない島も知っている。虫害のためにことごとく椰子を枯らしてしまった荒涼たる島も知っている。それだのに、人口僅か十六人のB島を別にすれば、此処ほど寂しい島は無い。何故だろう? 理由は、ただ一つ。子供がいないからだ。
 いや、子供もいることはいる。たった一人いるのだ。今年五歳になる女の児が。そうして、その児の外に二十歳以下の者は一人もいない。死んだのではない。絶えて生れなかったのだ。その女の児(外に子供はいないのだから、言いにくい島民名前などは持出さずに、ただ、女の児とだけ呼ぶことにしよう)が生れる前の十数年間、一人の赤ん坊もこの島に生れなかった。女の児が生れてから今に至るまで、まだ一人も生れない。恐らく、今後も生れないのではなかろうか。少くとも、この島の年老いた連中はそう信じている。それ故、数年前この女の児が生れた時は、老人連が集まって、この島の最後の人間――女になるべき赤ん坊を拝んだということである。最初の者が崇められるように、最後の者もまた崇められねばならぬ。最初の者が苦しみを嘗めたように、最後の者もまたどんなにか苦しみを嘗めねばならぬであろう。そう呟きながら、黥をした老爺や老婆たちが、哀しげに虔み深く、赤ん坊を礼拝したという。但し、それは老人だけの話で、若い者は、何年にも見たことのない人間の赤ん坊というものが珍しさに、ワイワイ騒ぎながら見物に来たと聞いている。ちょうど女の児が生れる二年前に、戸口調査があり、その時の記録には人口三百と記されているのに、今ではもう百七、八十しか無い。こんな速やかな減少率があろうか。死ぬ者ばかりで生れる者が皆無だと、別に疫病に見舞われた訳でなくとも、こんなに速く減るものだろうか。当時女の赤ん坊を拝んだ老人たちはもはや一人残らず死んでしまっているに違いない。それでも、老人たちの残した訓えは固く守られていると見えて、今でも、この島の最後の者たるべき女の児は、喇嘛の活仏のように大事にされている。成人ばかりの間にたった一人の子供では、可愛がられるのが当り前のようだが、この場合は、それに多分の原始宗教的な畏怖と哀感とが加わっているのである。
 何故、この島には赤ん坊が生れないのか。性病の蔓延や避妊の事実は無いか、と誰もが訊ねる。なるほど、性病も肺病も無いことはないが、それは何も、こ…

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