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うみ
作品ID46430
著者尾崎 放哉
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻21 巡礼」 作品社
1992(平成4)年11月25日
入力者浦山敦子
校正者noriko saito
公開 / 更新2007-09-03 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 庵に帰れば松籟颯々、雑草離々、至つてがらんとしたものであります。芭蕉が弟子の句空に送りました句に、「秋の色糠味噌壺も無かりけり」とあります。これは徒然草の中に、世捨人は浮世の妄愚を払ひ捨てゝ、糂汰瓶ひとつも持つまじく、と云ふ処から出て居るのださうでありますが、全くこの庵にも、糠味噌壺一つ無いのであります。縁を人に絶つて身を方外に遊ぶ、などと気取つて居るわけでは毛頭ありませんし、また、その柄でも勿論ないのでありますから、時々、ふとした調子で、自分はたつた一人なのかな、と云ふ感じに染々と襲はれることであります。八畳の座敷の南よりの、か細い一本の柱に、たつた一つの脊をよせかけて、其前に、お寺から拝借して来た小さい低い四角な机を一つ置いて、お天気のよい日でも、雨がしと/\降る日でも、風がざわ/\吹く日でも、一日中、朝から黙つて一人で座つて居ります。
 坐つて居る左手に、之も拝借もの……と云ふよりも、此庵に私がはいりました時残つて居つた、たつた一つの什器であつた処の小さな丸い火鉢が置いてあるのです。此の火鉢は殆ど素焼ではないかと思はれる程の瀬戸の黒い火鉢なのですが、其の火鉢のぐるりが、凡そこれ以上に毀す事は不可能であらうと思はれる程疵だらけにしてあります。之は必ず、前住の人が煙草好きであつて、鉄の煙管かなんかでノベツにコツンコツン毀して居た結果にちがひないと思ふのです。誠に御丹念な次第であります。此の外には道具と申してもなんにも無いのでありますから誠にがらんとし過ぎたことであります。此の南よりの一本の柱と申すのが、甚だ形勝の地位に在るので、遥かに北の空を塞ぐ連山を一眸のうちに入れると共に、前申した一本の大松と、奉供養大師堂之塔の碑とが、いつも眼の前を離れぬのであります。居ながらにして首を少し前にのばせば、そこは広々と低みのなだれになつて一面の芋畑、そして遠く、土庄町の一部と、西の空の開いて居るのが見えるのであります。東は例のこの庵唯一の小さい低い窓でありまして、其の窓を通して渠の如き海が見え、海の向うには、島のなかの低い山が連つて居ります。西はすぐ山ですから、窓によつて月を賞するの便があるのみで、別に大した風情は有りませんのです。お天気のよい日には毎朝、此の東の空に並んで居る連山のなかから、大陽がグン/\昇つて来ます。太陽の昇るのは早いものですね。山の上に出たなと思つたら、もう、グツグツグツと昇つてしまひます。その早いこと、それを一人坐つてだまつて静に見て居る気持ツたら全くありません。私は性来、殊の外海が好きでありまして、海を見て居るか、波音を聞いて居ると、大抵な脳の中のイザコザは消えて無くなつてしまふのです。「賢者は山を好み、智者は水を愛す」といふ言葉があります。此の言葉はなか/\うま味のある言葉であると思ひます。但し、私だけの心持かも知れませんが――。一体私は、…

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