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最初の悲哀
さいしょのひあい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「童話集 春」 小学館文庫、小学館
2004(平成16)年8月1日
入力者noir
校正者noriko saito
公開 / 更新2006-08-01 / 2014-09-18
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




 街子の父親は、貧しい町絵師でありました。五月幟の下絵や、稲荷様の行燈や、ビラ絵を描いて、生活をしているのでありました。しかし、街子はたいそう幸福でした。というのは、父親は街子を、このうえもなく愛していたし、街子もまた父親を世の中で一番えらくて好い人だと思っていました。母親が早くなくなったので、街子は小学校を卒業すると、家にいて、父親のため朝夕の食べものをつくったり、洗濯をしたり、夜おそく父親が仕事をするときに、熱いお茶を入れたりしました。家の外を風が吹くように、貧しいことなどは、ちっとも苦労ではありませんでした。
 父親も街子も、ほんとに幸福そうでありました。
 何よりも好いことに、街子は父親の仕事を好きなばかりでなく、父親の技倆を尊敬さえしていたことです。
 ところが街子にとって、容易ならぬ悲みが一つ出来たのであります。それは稲荷様の祭の日のことでありました。毎年の習で、ことしも稲荷様の境内から町内の掛行燈の絵は、みんな街子の父親が描いたのです。地口行燈と言って、おどけた絵に川柳など添えてかいてあるもので、通る人は一つずつそれをよんで見て喜んでいました。仕立おろしのセルをすらりときた若い奥様に、「どうだ、愉快だね。こんな風な絵は国宝だよ」そう言って見てゆく旦那様もありました。
 街子はそれをきいてこのうえもなく幸福で、「それはあたしの父さんが描いたんですよ」そう言いたいほどでした。
 ところが街子とおんなじ年に小学校を出て、いまは女学校へ上っているお友達が三人、やはり地口行燈のまえに立っていました。街子はなつかしくて傍へよってゆきました。するとその時、三人はどっと笑い出しました。
「なんて古くさい絵でしょう」
「馬鹿にしてるわ」
「この眼はどうでしょう」
 そんなことを言いながらまたころげるように笑っていました。
 それを聞いた哀れな街子は、人の影へかくれるようにしながら、家の方へ駈け出しました。それが街子の最初の悲みでありました。



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