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映画雑感(Ⅶ)
えいがざっかん(しち)
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「寺田寅彦全集 第十巻」 岩波書店
1961(昭和36)年7月7日
初出「渋柿」1935(昭和10)年10月10日
入力者米田
校正者富田倫生
公開 / 更新2012-06-29 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

一 影なき男

 一種の探偵映画である。しかしこの映画のおもしろみはストーリーの猟奇的な探偵趣味よりもむしろウィリアム・パウェルという男とマーナ・ロイという女とこの二人の俳優の特異なパーソナリティの組み合わせと、その二人で代表された特異な夫婦間の情味にかかっているというのが定評となっているようである。ある人はこの夫婦の関係を一種のソフィスティケーションと見ている。その意味は、こうしたものの内容には、一面においては人為的、不自然、不純真、似而非、贋造といったようなあまりかんばしくない要素を含んでいるが、また一面においてはそうしたかんばしくないものを、もう一ぺんひっくりかえして裏から見たときに、その背面から浮かび出して来る高次元に真なるもの純なるものの高次元の美しさおもしろさを認識することができるというのであろう。換言すれば、月並みな陳套な正札付きの真実よりも、うそから出た誠にかえってより多くのより深き真実を見いだすこともありうるという意味で、こうした言葉を使っているのではないかと想像される。
 この夫婦のように、深く相愛して愛におぼれず、堅く相信じて信に甘えないというのは、アメリカ人の目にはよほど珍しく目新しい一大発見として映ずるかもしれないが、日本人には実は少しも珍しくもなんともない、むしろ規準的な夫婦関係のスタンダードであったのではないかという気がする。もっとも事実上はこの規準的関係の実現は存外困難であった。そうしてむしろかえってさんざん道楽をし尽くしたような中年以上のパトロンと辛酸をなめ尽くして来た芸妓との間の淡くして深い情交などにしばしば最も代表的なノルマールな形で実現されたもののようである。
 江戸の言葉で粋と言ったのは現代語をもってしては説明のむつかしい言葉であり、外国語に訳そうとする場合には全く途方にくれる言葉である。しかしこの映画「影なき男」に現われた夫婦愛のソフィスティケーションの中にわれわれは江戸っ子の粋の反映のようなものを認めることはできないであろうか。
 粋の精神はまた一面において俳諧の精神と握手するところがある。露骨な真実、平板な虚欺、その二つの世界の境界に中立地帯のようにしかも高次元の空間に組み立てられた俳諧の世界がある。実と虚と相接するところに虚実を超越した真如の境地があって、そこに風流が生まれ、粋が芽ばえたのではないかという気がするのである。もっともこの中立地帯の産物はその地帯の両側にある二つの世界の住民から見るとあるいは廃頽的と見られあるいは不徹底とののしられるかもしれない。しかし、結局それはすむ世界の相違であり、生まれついた人種の差別である。議論にはならない。
 世界じゅうでいちばん「若い」アメリカ人が一九三〇年代の今ごろになって、いくらかこの俳諧の世界の存在に気づいて来たように見えるのははなはだ興味の深いことである。そうし…

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