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死剣と生縄
しけんといきなわ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「怪奇・伝奇時代小説選集1 水鬼 他9編」 春陽文庫、春陽堂書店
1999(平成11)年10月20日
初出「講談倶楽部」1925(大正14)年11月
入力者岡山勝美
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-11-19 / 2016-07-01
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 武士の魂。大小の二刀だけは腰に差して、手には何一つ持つ間もなく、草履突掛けるもそこそこに、磯貝竜次郎は裏庭へと立出た。
「如何ような事が有ろうとも、今日こそは思い切って出立致そう」
 武者修行としても一種特別の願望を以て江戸を出たので有った。疾くに目的を達して今頃は江戸に帰り、喜ぶ恩師の顔を見て、一家相伝の極意秘伝を停滞なく受けていなければ成らぬのが、意外な支障に引掛って、三月余りを殆ど囚虜の身に均しく過ごしたのであった。
 常陸の国、河内郡、阿波村の大杉明神の近くに、恐しい妖魔が住んでいるので有った。それに竜次郎は捕って、水鳥が霞網に搦ったも同然、如何とも仕難くなったのであった。一と夏を其妖魔の家に心成らずも日を過して、今朝の秋とは成ったので有った。
 大杉明神は常陸坊海尊を祀るともいう。俗に天狗の荒神様。其附近に名代の魔者がいた。生縄のお鉄という女侠客がそれなのだ。
 素より田舎の事とて泥臭いのは勿論だが、兎に角常陸から下総、利根川を股に掛けての縄張りで、乾漢も掛価無しの千の数は揃うので有った。お鉄の亭主の火渡り甚右衛門というのが、お上から朱房の十手に捕縄を預った御用聞きで、是れが二足の草鞋を穿いていた。飯岡の助五郎とは兄弟分で有った。
 その火渡り甚右衛門が病死しても、後家のお鉄が男まさりで、まるで女の御用聞きも同然だという処から、未だ朱房の十手を預っているかのように人は忌み恐れていた。
「生縄のお鉄は男の捕物に掛けては天下一で、あれに捕ったら往生だ。罪の有る無しは話には成らぬ。世にも不思議な拷問で、もう五六人は殺されたろう。阿波の高市に来た旅役者の嵐雛丸も殺された。越後の縮売の若い者も殺された。それから京の旅画師に小田原の渡り大工。浮島の真菰大尽の次男坊も引懸ったが、どれも三月とは持たなかった。あれが世にいう悪女の深情けか。まさか切支丹破天連でも有るまいが、あの眼で一寸睨まれたら、もう体が痺れて如何する事も出来ないのだそうな」
 斯うした噂は至る処に立っていた。
 とは知らぬ磯貝竜次郎、武者修行に出て利根の夜船に乗った時に、江戸帰りのお鉄と一緒で有った。年齢は既に四十近く、姥桜も散り過ぎた大年増。重量は二十貫の上もあろう程の肥満した体。色は浅黒く、髪の毛には波を打ったような癖が目立って、若も生端薄く、それを無造作に何時も櫛巻きにしていた。鼻は低く、口は大きく、腮は二重に見えるので有ったが、如何にも其眼元に愛嬌が溢れていた。然うして云う事為る事、如才無く、総てがきびきびとして気が利いていた。若い時には斯うした風のが、却って男の心を動かしたかも知れぬのだ。
「大杉様へ御参詣なら、是非手前共へお立ち寄りを」
 押砂河岸で夜船を上って、阿波村に行く途中の蘆原で、急に竜次郎が腹痛を覚えた時に、お鉄は宛如子供でも扱うようにして、軽々と背中に負い、半里足ら…

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