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三年
さんねん
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「斎藤茂吉選集 第十二巻」 岩波書店
1982(昭和57)年2月26日
初出「国鉄情報」1948(昭和23)年6月
入力者しだひろし
校正者門田裕志
公開 / 更新2006-11-29 / 2014-09-18
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 三年と云つても、この三年といふものは、三十年ぐらゐの気持であつた。荷作したまま荷が動かず、紹介してもらつた丸通の課長でさへ、『斎藤さん、もう手おくれですよ』などと云つたほどであつた。
 渋谷駅に行つて見ると、いはゆる『疎開荷物』といふものが小山ほどに積まれて居る。然もこの小山ほどといふのは、誇張でない、ぎつしりと隙間のないまでに積まれてゐるので、自分は来る度毎に驚き愕いたものである。なぜ驚いたかといふに、まさかこれほど沢山の荷物が集まつて居るとは、想像もしなかつたからである。いつたいこんなに沢山に集まつてゐる荷物はどうして動くのだらうか。空襲は日毎時毎に劇しくなつて来る。このまま空襲に会つたら、尽く焼けてしまはねばならぬのである。愕くのはさういふ点にもあつた。そこへ次から次へと荷を満載したトラツクが来る。荷を満載した馬車が来る。汗みどろになつて人の挽いて来るリヤカーがあるといつた調子で、かういふ方面に全くの素人である自分の如き者にとつては、『名状すべからざる』光景といふべきものであつた。
 しかるにこの如き状態の荷物は、毎日動いて居るのである。此処に集まつた限りの荷物は兎に角動いて居るのである。名状すべからざるこの光景は少しづつ整理されつつあるのである。自分はこの運輸機関といふものを讃歎したのであつた。『実に偉いものだ』と独語したのであつた。実に『偉大なる存在』として受取れたのであつた。

 自分は三月九日の大空襲の時には、東京青山の自宅にゐた。浅草観音堂の焼けたあの大空襲である。あの時は自分の病院玄関にも焼夷弾の重いのが三つも落下したのであつた。自分はいよいよ覚悟し、郷里に逃れようとして、四月三四日には上野駅から出発するつもりでゐた。ところが四月一日の朝、義歯の床が割れて居ることに気づいた。これは困つた。郷里には善い歯科医が居ないかも知れない。さうすれば何とかして東京でこの義歯を直して行かねばならない。さう思ひ、これまでかかりつけの赤十字社病院前の歯科医を訪ねると、そこは強制疎開のために家を取りこぼつてゐる最中であつた。労働服などを著て埃の中で立働いてゐた。致方がないので、その近くの歯科をたづねると、いづれも休院か廃院の有様であつた。困つてゐると、渋谷美竹町にある大久保歯科医院を教へてくれた人があつたので、訪ねて応急手当を依頼したところが、大久保氏は特別の好意を寄せられ、義歯の割れたところを大急ぎで修繕してくれた。しかし未だしつくりしないので四五日その歯科医院に通つた。その間にも毎日のやうに空襲警報が発せられたが、自分はついでに丸通を訪問して、自分の荷を動かしてもらふことに努めた。また、吉田勲生氏の恩頼を受けた。さうして四月中ばに自分は上野駅を立つて郷里へ逃げて行つた。それからも荷がなかなか届かず、殆ど諦めてゐたところが、だいぶ経つてから荷が届いた。日用…

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