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水垢を凝視す
みずあかをぎょうしす
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆4 釣」 作品社
1982(昭和57)年10月25日
入力者門田裕志
校正者Juki
公開 / 更新2007-01-04 / 2014-09-18
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 鮎が水垢をなめて育つのは誰でも知っている。人間に米や麦が必要であるのと同じようなものだ。
 しかし、水垢のないところでも、鮎は育つ。田圃の用水にも、溜池にも棲んで大きくなる。甚しいのになると、相州小田原在山王川のような溝川にさえ、盛んに鮎が溯上して来て育っている。だが、水垢のない川に育った鮎には香気がない。そして、肉がやわらかでおいしくないのである。鮎という形を備えているのみで、食味としては劣等品である。
 二寸、三寸の小さい頃は主として動物質の餌を食べているが、溯上の途中に立派な水垢を発見すれば、それに食い馴染む。興津川や酒匂川、安倍川のように瀬が直ちに海へ注ぐ川は、川口にまで転石が磊々としている。それには必ず水垢がついている。三月中旬から河へ向って、海から来た鮎は直ぐその水垢を発見してなめはじめるのである。だから三四月頃の小さい鮎の腹を解剖して見ると、動物質の餌の外に、必ず水垢が胃袋や、腸の中に入っているのを発見する。
 大きな川の鮎は、それとは異う。利根川、荒川、那珂川のように河口から上流数里乃至二三十里の間に潮の影響のある川は、川底が小砂であるから水垢がつかない。若鮎は、水垢を求め得られないので、川虫や藻蝦のような動物質の餌ばかりを食いながら上流へ、上流へと溯って行く。砂底を通過しつつある鮎を解剖しても胃袋に水垢を発見することは困難だ。
 若鮎であっても水垢を食べているのと、いないのとでは味も異う。相模川にしたところが、厚木から下流の砂底や小石底の場所を通過しているのを、漁って食べて見て、久保沢あたりから上流へ来た鮎に比較すれば、その味が劣り香気の低いのを感ずる。興津川の鮎は、海に接した川口附近で漁れた鮎でも、まことにおいしい。それは、早くから水垢をなめているからである。奥利根川などは、六月へ入ってからも、下流から僅かに二三寸の小さな鮎が溯って来る。形は小さいが味も香気も立派である。やはり立派な水垢を充分食っているからである。
 水垢は鮎の生命だ。



 友釣でも、ドブ釣でも技術の真髄を究めようとするには、どうしても鮎と水垢との関係を詳かにして置く必要がある。
 ドブ釣も鮎の食欲につけ込んだものだ。友釣も結局は、食料問題に絡らませて鈎という罠を仕掛けたものだ。ゴロ引や、引っ掛けは別として鮎釣の正道を行くものは、食料問題を離れてない。殊に友釣に於ては、水垢の問題が大切である。ドブ釣でも水垢の研究は、ゆるがせにできない。鮎の最も好きな水垢が豊富に石についているにも拘わらず、毛鈎を下げればその鈎へ食いついて来る。これ等のことも、鮎自身でなければ判らぬ領分だ。といってて棄て置いちゃ、上手な釣人にはなれぬ。
 餌のことに疑問を持てば究りがない。その究りないところに深い興味がある。
 若鮎は原則として、岸に近いところを溯上するものである。沖上りをやる…

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