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ばけものばなし
ばけものばなし
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「岸田劉生随筆集」 岩波文庫、岩波書店
1996(平成8)年8月20日
初出「改造 第六巻第九号」1924(大正13)年9月
入力者鈴木厚司
校正者noriko saito
公開 / 更新2007-09-16 / 2014-09-21
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

       *
 これは怪談をするのではない、ばけものについて、いろいろと考えた事や感じたこと等、思い出すままに描いてみようと思うのである。画工である私は、ばけものというものの興味を、むしろ形の方から感じている。そんな訳で、私の百鬼夜行絵巻も文の間に添えておこうと思う。

     君子は乱神怪力を語らず

 孔子様は、君子は乱神怪力を語らずといわれた。さすがに深い深い実感から生れた話だと思う。
 乱神怪力を語るという事は、結局「嘘」という事に無神経だという事になる。
 妖怪変化というものは、「無」いといってしまっては曲のないものにはちがいない。人間というものは、何事でも面白い方が好きなもので、ばけもの等も、本当は、無いのだという事になる事はちと興ざめな話なのである。
 元来妖怪等というものは、人間の神秘的要求、恐怖本能、等から生れた空想を一層興味を以て潤色し工風した一種の恐怖的な神秘詩なのだから、人間の一面には、この化物を愛好し、その存在を守ろうとする一種の本能的な気持があるものだ。
 それと同時に人間には、そういういわゆる乱神怪力を、信じない本能がある。信じまいとする本能は誰れでも気がつくが、それではなく信じない本能というものがあると思える。つまり「何だかおかしい。そんな理屈はどうもない」という、唯物的、合理性本能というようなものが、学ばずして人間にはあるように思える。昔、科学の力のなかった時代でもよく、賢明にして意志の強いような人物は、「世に変化の類あることわりなし」とか何とか明言しているが、その人が今日の唯物論を学んでいた訳はないので別に学術上の確かな論拠は持っていないはずである。しかしその人にとっては、それは実感であって、動かし難いものなのである。その人とても大木の下を通る時とか、その他恐ろしいところを通る時にはやはり実感的に一種の鬼気を感じたであろうが、それにもかかわらずその人は、世に変化の類ある事なしという実感の方を肯定しているのである。
[#挿絵]
 ところで、怪力乱神を語りたがる人とても無論、この唯物的合理性本能は持っていようし、殊に今日のように学問の力でお化け退治の一と先ずは済んだ世の中にあっては一通り理論上では御化けを否定は出来るにかかわらず、やはり何となく御化けが好きなのである。
 さて手っとり早く言ってしまえば、心から妖怪を信じる人は別として(そういう人はある、その人はまたいろいろな実験からたしかに信じているのでまた一つの感じがある)大てい妖怪談を好んで語る人は、一、多少嘘つき、一、反省の足らぬ人、一、他人の中にあって談ずるに、自己を持す意力の弱い人、一、甚だしく遊戯的気分の多い人、一、話の興味のために自己を偽る人、一、甚だしく対他的興味の強い人、一、芝居気のある人、一括していえば性格の弱い人が多いと思える。つまり才子風の人が多い…

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