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写生紀行
しゃせいきこう
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「現代日本紀行文学全集 東日本編」 ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日
初出「中央公論」1923(大正11)年1月号
入力者林幸雄
校正者多羅尾伴内
公開 / 更新2003-11-28 / 2014-09-18
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 去年の春から油畫の稽古を始めた。冬初め頃迄に小さなスケッチ板へ二三十枚、六號乃至八號の畫布へ數枚を描いた。寒い間は休んで今年若葉の出る頃から此の秋迄に十五六枚か、事によると二十枚程の畫布を塗り潰した。此等のものゝ大部分はみんなうちの庭や建物の一部を寫生したものである。
 靜物も描かない譯ではなかつた。併し花を活けて寫生しようと思ふとすぐに萎れたり、又此れに反して勢のいゝのは日毎の變化が餘りにはげしくて未熟なものゝ手に合はなかつた。壺や林檎も面白くない事はないが、折角「生きた自然」の草木が美しく、其れに戸外が寒くなくて好い時候に、室内の「死んだ自然」と首引をするのも勿體ないやうな氣がした。靜物乃至自畫像などは寒い時の爲に保留するといふやうな氣もあつて、暖い内はなるべく題材を戸外に求める事に自然となつてしまつた。尤も戸外と云つても唯庭をあちらから見たり此方から見たり、或は二階か近所の屋根や樹の梢を見た處など、もしこれが本當の畫家ならば始めからてんで相手にしないやうなものを、無理に拾ひ出し、切り取つては畫布に塗り込むのであつた。それだから、どの繪にもどの繪にも同じ四つ目垣の何處かの部分が顏を出して居たり、同じ屋根が何處かに出つ張つたりして居る事になるのは免れ難い。
 其れでも私に取つては矢張面白くない事はなかつた。例へば四つ目垣でも屋根でも芙蓉でも鷄頭でも、未だ嘗て此れで稍滿足だと思ふやうに描けた事は一度もないのだから、いくら描いてもそれはいつでも新しく、いつでもちがつた垣根や草木である。恐らく一生描いて居ても此等の「物」に飽きるやうな事はあるまいと思ふ。描く事には時々飽きはしても。
 展覽會などで本職の畫家の描いた繪を見ると、美しい草木や景色や建築物やが惜氣もなく材料に使はれて居る。今の自分から見ると此等の畫家は實に羨ましい有福な身分だと思ふ。世の中に何が贅澤だと云つて、此のやうな美しく貴重な自然を勝手自在に我物同樣に使用し時には濫費してもいゝと云ふ、此れ程の贅澤は少ないと思ふ。此れに匹敵する贅澤は恐らく唯讀書位のものかも知れない。
 そんな繪を見る度に、屹度自分も門から外へ出て描いて見たくなるのである。一歩門を出さへすれば、つい其處の路地にでも川岸にでも電車停留場にでも、兎に角うちの庭とは比較にならない程いゝ題材が、勿體ないやうに無雜作に、顧みられずにころがつて居る、わざわざ旅費を出して幾日も汽車を乘り[#挿絵]す必要などはないやうに思はれる。しかしどうも此の東京の街頭に畫架を据ゑて、往來の人を無視してゆつくり落着いて、目を細くしたり首をひねつたりする勇氣は――やつて見たら存外あるかも知れないが、考へて見ただけではどうもなささうに思はれる。せめて郊外へでも行けばさういふ點でいくらか工合のいゝ場所があるだらうと思つたが、併し一方で又餘り長く電車に乘り、又重いも…

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