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幕末維新懐古談
ばくまついしんかいこだん
作品ID46541
副題39 牙彫りを排し木彫りに固執したはなし
39 げぼりをはいしきぼりにこしつしたはなし
著者高村 光雲
文字遣い新字新仮名
底本 「幕末維新懐古談」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日
入力者網迫、土屋隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2006-10-13 / 2014-09-18
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「いやしくも仏師たるものが、自作を持って道具屋の店に売りに行く位なら、焼き芋でも焼いていろ、団子でもこねていろ」
 これは高橋鳳雲が時々私の師匠東雲にいって聞かせた言葉だそうであります。
 私もまた、東雲師から、風雲はこういって我々を誡められた、といってその話を聞かされたものであります。それで、私の脳にも、この言葉が残っている。いい草は下品であっても志はまことに高い、潔い。我々仏師の道を伝うるものこの意気がまるでなくなってはならない。心すべきは今である……とこう私も考えている。それが私のおかしな意地であったが、とにかく、象牙彫りをやって、それを風呂敷に包んで牙商の店頭へ売りに行くなぞは身を斬られても嫌なことであった。が、さればといって木彫りの注文はさらになく、注文がないといって坐って待ってもいられない。かくてはたちまち糊口に窮し、その日の生計も立っては行かぬ。サテ、困ったものだと、私も途方にくれました。
 しかし、いかに困ればといって、素志を翻すわけには行かぬ。そこで私は思案を決め、
「よし、俺は木で彫るものなら何んでも彫ろう。そして先方から頼んで来たものなら何でも彫ろう」ということにしました。で、木なら何んでも彫るとなると、相当注文はある。注文によってはこれも何んでも彫る。どんなつまらないものでも彫る。そこで、洋傘の柄を彫る。張子の型を彫る(これは亀井戸の天神などにある張子の虎などの型を頼みに来れば彫るのです)。その他いろいろのものを注文に応じて彫りましたが、その代り今年七十一(大正十一年十二月)になりますが、ついに道具屋へ自作を持って売りに行くことはしないで終りました。

 こういう風で、この当時は、私の苦闘時代といわばいって好い時であった。
 前に申す如く、西町の三番地の小さな家の、一間は土間、一間は仕事場で、橋を渡って這入れば竹の格子があって、その中で私はコツコツと仕事をやっていた(通りからは仕事場が見えた)。
 すると、或る日、前に話した袋物屋の、米沢町の沢田銀次郎が訪ねて来ました。この人は以前蔵前の師匠の家にいた当時、あの珊瑚樹に黒奴のとまっている仕事をたのまれた関係で、旧知の人でありますから、久しぶり対面しますと、「一つ木彫りをお願いしたい」ということである。今時分木彫りをわざわざ頼みに来るのは不思議のようであるが、この沢田は貿易物の他に、地の仕事をも請け合うのですから、私に木彫りを頼みに来たのであった。布袋を彫ってくれ、というので、早速私は彫りはじめたが、この製作は、私がいろいろ西洋彫刻のことにあこがれ、実物写生によって研究努力した後の木彫りらしい木彫りであったから、私も長々研究の結果によって充分心行くような新しい手法をもって彫り試みたことであった。もっとも、図は布袋であるが、従来の仏師の仏臭を脱した一つの行き方をもってこの布袋を彫り上げたの…

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