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「桂川」(吊歌)を評して情死に及ぶ
「かつらがわ」(つりうた)をひょうしてじょうしにおよぶ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」 筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日
初出「文學界 七號」文學界雜誌社、1893(明治26)年7月30日
入力者kamille
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2007-12-28 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 まづ祝すべきは市谷の詩人が俗嘲を顧みずして、この新らしき題目を歌ひたることなり。
 残花道人嘗つて桂川を渡る、期は夜なり、風は少しく雨を交ゆ、「昨日も今日も五月雨に、ふりくらしたる頃なれど」とあるを見れば梅雨の頃かとぞ思ふ。「霧たちこめし水の面に、二ツの光りてらすなり、友におくれし螢火か、はた亡き魂かあはれ/\」と一面惨絶の光景を画きて、先づ幽魂の迷執をうつす。それより情死の事由を列ね、更に一転してその苦痛と応報とを陳ぶ。「あやなき闇に凄然じや、閻羅と見ゆる夏木立」。之より一回転して虚実の中に出没し、視るところのものゝ心裡を写出する一節絶筆なり。
「こゝは処も桂川」、最前の起句を再用して、「造化の筆はいまもなほ、悲惨の景色うつしいで、我はた冥府の人なりき」といふ末句の如き、千鈞の重ありと云ふべし。これより急調に眼を過ぐるものを言ひ、「三ツ四ツおちし村雨は、つゝみかねたる誰が涙かな」にて結び、更に「玉鉾の道は小暗し、たどりゆく繩手はほそし、松風の筧の音も、身にしみていとうらかなし、」と巧麗婉艶の筆を以て、行路の詩人の沈痛なる同情を醒起す。これより漸く佳境に進みて「影なる人のかたる」を言ひ、或は平瀉、或は急奔、遂に「われらが罪をゆるせかし、犠牲となりしは愛のため」にて全篇を結べり。余は残花氏の巧妙と幽思、この篇にて尽くるを見る、明治の韻文壇、斯かる佳品を出すもの果して幾個かあらむ。
 試に余をして簡約に情死に就きて余が見るところを言はしめよ。
 人の世に生るや、一の約束を抱きて来れり。人に愛せらるゝ事と、人を愛する事之なり。造化は生物を理するに一の法を設けたり、禽獣鱗介に至るまで、自からこの法に洩るゝ事なし。之ありて万物活情あり、之ありて世界変化あり、他ならず、心性上に於ける引力之なり。人はこの引力の持主にして、彼の約束の捺印者なり。
 余今ま村舎に宿して一面の好画を見たり。雄鶏は外に出でゝ食をもとめ、雌鶏は巣に留りて雛を温む。孵りて後僅かに半月、或は母鶏の背に升り、或は羽をくゞりて自から隠る、この間言ふ可からざるの妙趣ありて余を驚破せり。細かに万物を見れば、情なきものあらず。造化の摂理愕ろくべきものあり。
 或は劣情と呼び、或は聖情と称ふ、何を以て劣と聖との別をなす、何が故に一は劣にして、一は聖なる、若し人間の細小なる眼界を離れて、造化の広濶なる妙機を窺えば、孰を聖と呼び、孰れを劣と称ぶを容るさむ。濫りに道法を劃出して、この境を出づれば劣なり、この界を入れば聖なりと言ふは何事ぞ。
 情の素たるや一なり、之を運ぶ器と機の異なるに因つて聖劣を分たんとす。世間の道義は之に対して声を励まして正邪を論ず、何ぞ迂なるの甚しき。文化は人に被らすに数葉の皮を以てす、之を着ざれば即ち曰く、破徳なりと。むしろ蕃野の真朴にして、情を包むに色を以てせざるに如かんや。
 人の中に二種…

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