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釣好隠居の懺悔
つりずきいんきょのざんげ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「集成 日本の釣り文学 第二巻 夢に釣る」 作品社
1995(平成7)年8月10日
入力者門田裕志
校正者土屋隆
公開 / 更新2006-12-04 / 2014-09-18
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 中川の鱸に誘き出され、八月二十日の早天に、独り出で、小舟を浮べて終日釣りけるが、思はしき獲物も無く、潮加減さへ面白からざりければ、残り惜しくは思へども、早く見切りをつけ、蒸し暑き斜陽に照り付けられながら、悄々として帰り途に就けり。
 農家の前なる、田一面に抽き出でたる白蓮の花幾点、かなめの樹の生垣を隔てゝ見え隠れに見ゆ。恰も行雲々裡に輝く、太白星の如し。見る人の無き、花の為めに恨むべきまでに婉麗なり。ジニアの花、雁来紅の葉の匂ひ亦、疲れたる漁史を慰むるやに思はれし。
 小村井に入りし時、兼て見知れる老人の、これも竿の袋を肩にし、疲れし脚曳きて帰るに、追ひ及びぬ。この老人は、本所横網に棲む、ある売薬店の隠居なるが、曾て二三の釣師の、此老人の釣狂を噂するを聴きたることありし。
 甲者は言へり。『彼の老人は、横網にて、釣好きの隠居とさへ言へば、巡査まで承知にて、年中殆んど釣にて暮らし、毎月三十五日づゝ、竿を担ぎ出づ』といふ『五日といふ端数は』と難ずれば、『それは、夜釣を足したる勘定なり』と言ひき。
 又乙者は言へり。『彼の老人の家に蓄ふる竿の数は四百四本、薬味箪笥の抽斗数に同じく、天糸は、人参を仕入るゝ序に、広東よりの直輸入、庭に薬研状の泉水ありて、釣りたるは皆之に放ち置く。若し来客あれば、一々この魚を指し示して、そを釣り挙げし来歴を述べ立つるにぞ、客にして慢性欠伸症に罹らざるは稀なり。』と言ふ。
 兎も角、釣道の一名家に相違無ければ、道連れになりしを、一身の誉れと心得、四方山の話しゝて、緩かに歩を境橋の方に移したりしに、老人は、いと歎息しながら一条の物語りを続けたり。
『この梅園の前を通る毎に、必ず思ひ起すことこそあれ。君にだけ話すことなれば、必ず他人には語り伝へ給ふべからず。
『想へば早数年前となりぬ。始めて釣道に踏み入りし次の年の、三月初旬なりしが、中川の鮒釣らんとて出でたりし。尺二寸、十二本継の竿を弄して、処々あさりたりしも、型も見ざりければ、釣り疲れしこと、一方ならず、帰らんか、尚一息試むべきかと、躊躇する折柄、岸近く縄舟を漕ぎ過ぐるを見たり。「今捕るものは何ぞ」と尋ねしに、「鯉なり」と答ふ。「有らば売らずや」と言へば、「三四本有り」とて、舟を寄せたり。魚槽の内を見しに、四百目許りなるを頭とし、都合四本見えたりし。「これにて可し」とて、其の内最も大なるを一本買ひ取りしが、魚籃は少さくして、素より入るべきやうも無かりければ、鰓通して露はに之を提げ、直に帰り途に就けり。
『さて田圃道を独り帰るに、道すがら、之を見る者は、皆目送して、「鯉なり鯉なり、好き猟なり」と、口々に賞讃するにぞ、却つて得意に之を振り廻したれば、哀れ罪なき鯉は、予の名誉心の犠牲に供せられて、嘸眩暈したらんと思ひたりし。
『やがて、今過ぎ来りし、江東梅園前にさし掛りしに、観梅の客の、往く者…

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