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「油地獄」を読む
「あぶらじごく」をよむ
副題(〔斎藤〕緑雨著)
(〔さいとう〕りょくうちょ)
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」 筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日
初出「女學雜誌 三一五號~三一七號」女學雜誌社、1892(明治25)年4月30日、5月7日、5月14日
入力者kamille
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2008-02-11 / 2014-09-21
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 刑鞭を揮ふ獄吏として、自著自評の抗難者として、義捐小説の冷罵者として、正直正太夫の名を聞くこと久し。是等の冷罵抗難は正太夫を重からしめしや、将た軽からしめしや、そは茲に言ふ可きところならず、余は「油地獄」と題する一種奇様の小説を得たるを喜び、世評既に定まれりと告ぐる者あるにも拘らず、敢て一言を[#挿絵]まんとす。
「油地獄」は「小説評註」と、「犬蓼」とを合はせ綴ぢて附録の如くす。「小説評註」は純然たる諷刺にして、当時の文豪を罵殺せんとする毒舌紙上に躍如たり。然れども其諷刺の原料として取る所の、重に文躰にありしを以て見れば、善く罵りしのみにして、未だ敵を塵滅するの力あらざりしを知るに足らむ。
「油地獄」と「犬蓼」とは結構を異にして想膸一なり。駒之助と貞之進其地位を代へ、其境遇を代ふれば貞之進は駒之助たるを得可く、駒之助は貞之進たるを得べし。然り、駒、貞、両主人公は微かに相異なるを認るのみ、然れども此暗合を以て著者の想像を狭しと難ずるは大早計なり、何となれば著者の全心は、広く想像を構へ、複雑なる社界の諸現象を映写し出でんとにはあらで、或一種の不調子、或一種の弱性を目懸けて一散に疾駆したるなればなり。一種の不調子とは何ぞ。曰く、現社界が抱有する魔毒、是なり。一種の弱性とは何ぞ。過去現在未来を通ずる人間の恋愛に対する弱点なり。
 緑雨は巧に現社界の魔毒を写出せり。世々良伯は少しく不自然の傾きを示すと雖、今日の社界を距る事甚だ遠しとは言ふ可らず。栗原健介は極めて的実なり、市兵衛の如き、阿貞の如き、個々皆な生動す。而して美禰子と駒之助に至れば照応甚だ極好。深く今日の社界を学び、其奥底に潜める毒竜を捉らへ来つて、之を公衆の眼前に斬伐せんとの志か、正太夫。
 何れの社界にも魔毒あり。流星怪しく西に飛ばぬ世の来らば、浅間の岳の火烟全く絶ゆる世ともならば、社界の魔毒全く其帶を絶つ事もあるべしや。雲黒く気重く、身蒸され心塞がれ、迷想頻に蝟集し来る、これ奇なり、怪なり、然れども人間遂にこれを免かること難し。黒雲果して魔か、大気果して毒か、肉眼の明を以て之を争ふは詩人にあらざるなり。黒雲悉く魔なるに非ず、大気悉く毒なるにあらず、啻黒雲に魔あり、大気に毒ある事を難ぜんとするは、実際世界を見るも実世界以外を見ること能はざる非詩性論者の業として、放任して可なり。
 吾人は非精無心の草木と共に生活する者にあらず。慾に荒さび、情に溺れ、癡に狂する人類の中に棲息する者なり、己れの身辺に春水の優々たるを以て楽天の本義を得たりとする詩人は知らず、斉しく情を解し同じく癡に駆られ、而して己れのみは身を挺して免れたる者の、他に対する憐憫と同情は遂に彼をして世を厭ひ、もしくは世を罵るに至らしめざるを得んや。世を厭ふものを以て世を厭ふとするは非なり。世を罵る者を以て世を罵るとするは非なり。世を厭ふ者は世を厭…

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