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最後の勝利者は誰ぞ
さいごのしょうりしゃはたぞ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」 筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日
初出「平和 二號」平和社(日本平和會)、1892(明治25)年5月18日
入力者kamille
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2008-02-11 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 人生は戦争の歴史なり。刀鎗銃剣は戦争にあらず。人生即ち是れ戦争。世を殺せし者必らずしも虚栄に傲る勝利者のみにはあらじ、力ある者は力なき者を殺し、権ある者は権なき者を殺し、智ある者は智なき者を殺し、業ある者は業なき者を殺し、世は陰晴常ならず、殺戮の奇巧なるものに至つては、晴天白日の下に巨万の民を殺しつゝあるなり。銃鳴り剣閃めき、戦血地を染め、腥風草樹を槁らすの時に、戦争の現状を見る、然れども肉眼の達せざるところ、常識の及ばざるところに、閃々たる剣火は絶ゆる時なきなり。
 人の性は不調子なり、人の命は不規律なり、争ふ事を好むは猿猴よりも多く、満足する事能はざるは空の鳥に学ばざる可からざるが如し、是非曲直を論ずれども、我利の為に立論するの外を知らず、正邪真偽を説けども、遂に成覚の見を養ひし事なし、知らず、人間の運命遂にいかならむ。再び猿猴に返らんとするか。
 われ庭鳥の食を争ふを見る、而して争ふ時には常に少者の逃走するを見る、少者は母鶏の尤も愛する者なり、而して慾の即時に於ては、尤も愛する者も尤も悪む者となり、最後、尤も劣れるもの、尤も敗るゝ者となる。これ天則か。天則果して斯の如く偏曲なる可きか。請ふ、行いて生活の敗者に問へ、新堀あたりの九尺二間には、迂濶なる哲学者に勝れる説明を為すもの多かるべし。
 冷淡なる社界論者は言ふ、勝敗は即ち社界分業の結果なり、彼等の敗るゝは敗るべきの理ありて敗れ、他の勝者の勝つは勝つべきの理ありて勝つなり、怠慢、失錯、魯鈍、無策等は敗滅の基なり、勤勉、力行、智策兼備なるは栄達の始めなりと。
 われは信ぜず、天地の経綸はひとり社界経済の手にあるを。見ずや、栄達の中にも苦悩あるを、敗滅の中にも希望あるを。栄達必らずしも勝つにあらず、敗滅必らずしも敗るゝにあらず、王侯の第宅必らずしも福神を宿すところなるにあらず、茅舎の中、寒燈の下、至大なる清栄を感謝するものもあるなり。今日のみ凡ての問題の立論点ならば知らず、昨日を知り、又た明日を知るを得ば、勝敗が今日の貧富貴賤を以て断ず可からざる事は明白ならむ。
 社界経済の外に吾人を経綸する者あり、吾人は分業の結果を以て甘心する事能はざるの性を有す、吾人は遂に希望を以て生命とするの外あらざるなり。今日は吾人の永久にあらず。今日は吾人の明日にあらず、言を換へて解けば、吾人は今日の為に生きず、明日の為に生くるなり、明日は即ち永遠の始めにして、明日といへる希望は即ち永遠の希望なり。希望は吾人に囁きて曰ふ、世は如何に不調子なりとも、世は如何に不公平、不平等なりとも、世は如何に戦争の娑婆なりとも、別に一貫せるコンシステント(調実)なる者あり。人生のいかに紛糾せるにも拘らず、金星は飛んで地球の上に堕ちざるなり、彗星は駆けつて太陽の光りを争はざるなり。大宇宙に純一なるコンシステンシイあるは、流星の時に地上に乱堕する…

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