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頼襄を論ず
らいのぼるをろんず
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集」 筑摩書房
1969(昭和44)年6月5日
入力者kamille
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2008-12-10 / 2014-09-21
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 文章即ち事業なり。文士筆を揮ふ猶英雄剣を揮ふが如し。共に空を撃つが為めに非ず為す所あるが為也。万の弾丸、千の剣芒、若し世を益せずんば空の空なるのみ。華麗の辞、美妙の文、幾百巻を遺して天地間に止るも、人生に相渉らずんば是も亦空の空なるのみ。文章は事業なるが故に崇むべし、吾人が頼襄を論ずる即ち渠の事業を論ずる也。
 頼春水大阪江戸港に在りて教授を業とす。年三十三にして室飯岡氏襄を生む、時に安永九年なり。正に是れ光格天皇御即位の年、江戸の将軍徳川家治の在職十九年、田沼意次父子君寵を恃んで威権赫灼たる時となす。
 王政復古の頂言者、文運改革の指導者たる大詩人は斯の如くにして生れたり。呱々乳を索むる声、他年変じて社会を呼醒し、人心を驚異せしむる一大喚※[#「口+斗」、277-上-10]と変ずべしとは唯天のみ之を知りたりき。
 明れば天明元年、春水本国広島藩の聘に応じて藩学の教授となれり。其婦と長子とを携へて竹原に帰り父を省し、更に厳島の祠に詣づ、襄は襁褓の中に龕前に拝せり。竹原は広島の東十里に在り煙火蕭条の一邑にして頼氏の郷里たり。春水の始めて仕ふるや当時藩学新たに建つに会し建白して程朱の学を以て藩学の正宗となさんと欲す。議者其偏私を疑ひしかば彼は学統論を作りて其非難を弁駁せり。
 春水の斯の如くに程朱の一端に奔りし所以のもの、決して怪しむに足らず、何となれば渠は選択の時代に生れたればなり。蓋し徳川氏天下を平かにせしより、草木の春陽に向つて萌[#挿絵]するが如く、各種の思想は泰平の揺籃中に育てられたり。久しく禅僧に因りて有たれたる釈氏虚無の道は藤原惺窩、林羅山の唱道せる宋儒理気の学に因りて圧倒せられ、王陽明の唯心論は近江聖人中江藤樹に因りて唱へられ、古文辞派と称する利功主義は荻生徂徠に因りて唱へられ、古学と称する性理学は伊藤仁斎に因りて唱へられ、儒教と神道とを混じたる一種の哲学は山崎闇斎に因て唱へられ、各種各色の議論は恰も鼎の沸くが如く沸けり。元禄より享保に至るまで人各、自己独創の見識を立てんことを競へり。斯の如くにして人心中に伏蔵する思想の礦脈は悉く穿ち出されたり。支那二十二朝を通じて顕れたる各種の思想は徳川氏の上半期に於て悉く日本に再現せり。創始の時代は既に過ぐ、今は即ち選択の時代なり。紛々たる諸説より其最も善きものを択んで之に従はざるべからずとは志ある者の夙に唱導する所なりき。渠は斯る空気の中に※[#「てへん+妻」、277-下-3]息し、柴野栗山、尾藤二洲、古賀精里等と共に宋儒を尊信して学統を一にせんとするの党派を形造りたりき。幕閣が異学の禁を布きたるは寛政元年にして蓋し此党派の輿論を採用せしに過ぎざる也。
 春水の名は其二弟春風杏坪と共に此時既に学者間に聞へたりき。彼は朱子派の儒者として端亮方正の君子として、殊に善書の人として、其交遊の中に敬せられたりき。彼…

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