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塩原日記
しおばらにっき
作品ID4659
著者岩野 泡鳴
文字遣い旧字旧仮名
底本 「現代日本紀行文学全集 東日本編」 ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日
入力者林幸雄
校正者松永正敏
公開 / 更新2004-05-31 / 2014-09-18
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 十月廿七日、晴。急行で午後四時三十分頃に西那須驛に着した。實は、初めてのことで、而も急行は宇都宮より先きは黒磯でなければとまらぬやうに旅行案内には出てゐたので、正直に黒磯までの切符を買つたのだが、車上で人に教へられて西那須へ下りたのだ。
 そこから自動車(乘り合ひ、一人前四圓)で五里半の道を四十五六分で鹽原の福渡りと云ふ温泉場へ來た。その途々のいい風景は、日が暮れてゐたので、見られなかつた。どこへとまると云ふ當てもなかつたのだが、乘り合はせた老人夫婦も當てて行くと云ふので、一緒にいづみ屋別館へとまることにして、そこで自動車を下りた。團體が來てゐてやかましいが、あすは歸るからと云はれて、僕は老人夫婦のと前以つてきまつてたおもて向き坐敷の隣室へ這入つた。宿帳へは、どこへ行つても、僕は職業を著述家と書くのだが、どう云ふことをするのかと問ひ返されることがあるので、今囘はそのうるささの豫想を避けるため、職業の一部分なる小説家を以てしたところ、それを一と目見てから番頭は俄かにほほゑんでじろりと僕の方を見返した。名を知つてたのか、それとも小説家と云ふのが珍らしかつたのか、そこはちよッと分らなかつた。やがて再び番頭がやつて來て、
「書き物をなさるなら、ここはごた/\してゐまして、お困りでしようから、あすから本館の離れの二階へ御案内致しましようか」と云つた。その代り、寂しくて不便だがとのことであつたが、それはかまはないから、その方が結構だと僕は頼んだ。
 湯はすみとほつて修善寺温泉のそれのやうに綺麗だ。手ぬぐひも染まらないで、ます/\白くなると云ふ。僕が修善寺を好きなのもその爲めである。その夜は一杯飮んで直ぐ休むつもりであつたが、食後、隣室の老人に呼ばれて暫らく話をしに行つた。日本橋の藥り問屋の隱居であつた。孫だと云ふ五歳の女の子をもつれてた。
「あなたなどはまだお若くて結構です、わたしなどは、もう、この通り、あたまも」などと云つたが藥り屋のせいか、なかなか達者さうなおぢいさん、おばアさんであつた。二十年來、いづみ屋のお客ださうだ。向ふとこちらと同じやうに酒は一本と飮めないのであつた。達者なのは、一つには、さう飮まないせいだとおぢいさんは云つてた。西那須驛の自動車立て場の人があまり横暴で面白くなかつた話も繰り返された。それは僕も不愉快には思つたが、ただ仕かたがなかつたこととして來たのであつたから、今、同感しないではゐられなかつた。貸し切りで十二圓だから、三人が四圓づつはいいとしても、いよ/\出發の時に一人ふえたにも拘らず、矢張り、その人からも四圓取つたのだ。そして「それが當り前です」と、立て場のものらは僕らを乘せてからも怒鳴つてゐた。
 十月廿八日、曇。別館は、そのうら廊下から川向ふを見ると前山並びにその左右の青い樹木やこうえふが見える代りに、ごた/\と人の往き來がやかまし…

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