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平賀源内捕物帳
ひらがげんないとりものちょう
作品ID46628
副題萩寺の女
はぎでらのおんな
著者久生 十蘭
文字遣い新字新仮名
底本 「日本探偵小説全集8 久生十蘭集」 創元推理文庫、東京創元社
1986(昭和61)年10月31日
入力者川山隆
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2008-01-22 / 2014-09-21
長さの目安約 40 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

          十六日の朝景色

 薄い靄の中に、応挙風の朱盆のような旭がのぼり、いかにもお正月らしいのどかな朝ぼらけ。
 出尻伝兵衛、またの名を「チャリ敵」の伝兵衛ともいう、神田鍋町の御用聞。
 正月の十六日は、俗にいう閻魔の斎日。
 商売柄、閻魔参りなどに行く義理はない。
 谷中の方にチト急な用があって、この朝がけ、出尻をにょこにょこ動かしながら、上野山内の五重の塔の下までやってくると、どこからともなく、
「……おい、伝兵衛、伝兵衛」
 チャリ敵の伝兵衛、大して度胸もない癖に、すぐ向ッ腹をたてる性質だから、たちまち河豚提灯なりに面を膨らし、
「けッ、なにが伝兵衛、伝兵衛だ。大束な呼び方をしやアがって。……馬鹿にするねえ」
 亭々たる並松の梢に淡雪の色。
 ぐるりと見廻したが、さっぱりと掃き清められた御山内には、人影らしいものもない。
「な、なんだい。……たしかに、伝兵衛、伝兵衛と聞えたようだったが……テヘ、空耳か」
 ぶつくさ言いながら歩き出そうとすると、また、どこからともなく、
「伝兵衛、伝兵衛……」
 あわてて見廻す。やはり、誰もいない。
 伝兵衛、タジタジとなって、
「おい、止そうよ。どうしたというんだい、こりゃア……」
 麻布の豆狸というのはあるが、御山内にももんじいが出るという話はまだ聞かない。それにしても朝の五ツ半(九時)、変化の狸のという時刻じゃない。
「嫌だねえ」
 ゾクッとして、まとまりのつかない顔で立ち竦んでいると、
「おい、伝兵衛、ここだ、ここだ」
 その声は、どうやら、はるか虚空の方から響いて来るようである。
「うへえ」
 五、六歩後へ退って、小手をかざして塔の上の方を見上るならば、五重塔の素ッ天辺、緑青のふいた相輪の根元に、青色の角袖の半合羽を着た儒者の質流れのような人物が、左の腕を九輪に絡みつけ、右手には大きな筒眼鏡を持って、閑興清遊の趣でのんびりとあちらこちらの景色を眺めてござる。
 総髪の先を切った妙な茶筅髪。
 でっくりと小肥りで、ひどく癖のある怒り肩の塩梅。見違えようたって見違えるはずはない、鍋町と背中合せ、神田白壁町の裏長屋に住んでいる一風変った本草、究理の大博士。当節、江戸市中でその名を知らぬものはない、鳩渓、平賀源内先生。
「医書、儒書会読講釈」の看板を掛け、この方の弟子だけでも凡そ二百人。諸家の出入やら究理機械の発明、薬草の採集に火浣布の製造、と寸暇もない。
 秩父の御囲い鉱山から掘り出した炉甘石という亜鉛の鉱石、これが荒川の便船で間もなく江戸へ着く。また長崎から取り寄せた伽羅で櫛を梳かせ、その梁に銀の覆輪をかけて「源内櫛」という名で売出したのが大当りに当って、上は田沼様の奥向から下は水茶屋の女にいたるまで、これでなければ櫛でないというべら棒な流行りかた。
 物産学の泰斗で和蘭陀語はぺらぺら。日本で最初の電…

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