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幕末維新懐古談
ばくまついしんかいこだん
副題45 竜池会の起ったはなし
45 りゅうちかいのおこったはなし
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「幕末維新懐古談」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年1月17日
入力者網迫、土屋隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2007-01-08 / 2014-09-18
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 さて、今日までの話は、私の蔭の仕事ばかりで何らこの社会とは交渉のないものであったが、これからはようやく私の生活が世間的に芽を出し掛けたことになります。すなわち自分の仕事として、その仕事が世の中に現われて来るということになる訳です。といって、まだまだようやくそれは世の中に顔を出した位のものであります。
 それは、どういう事から起因したかというと明治十七年頃日本美術協会というものがあった。これが私の世の中に顔を出した所で、いわば初舞台とでもいうものであろうか。この一つの会が私というものを社会的に紹介してくれたことになるのであります。が、この事を話そうとすると、その以前に遡って美術協会というものの基を話さなければなりません。それを話しませんと顔を出した訳が分らんのです。

 私は、それまでは世の中がどういう風に進んでいるのか、我が邦の美術界がどんな有様になっているのか、実の所一向知りませんのでした。また、実際そういうことを特に知ろうという気もありませんでした。ちょうどそれは第一回の博覧会があった当時、その事にまるで風馬牛であったように、一向世の中のこと……世の中のことといっても世の中のことも種々ありますが、今日でいえば美術界とか、芸術界とかいう方の世界のことは一切どんな風に風潮が動いているか、その方面のことは一向知らずにいたのであります。で、どういう会が出来ていて、どういう人たちが会合して、どんなことを話し合ったり研究しあったりしているかなどは、さらに知らない。ただ、自分の仕事を毎日の仕事として、てくてく克明にやっていたばかりであったのです。

 ところが、明治十七年に初めて日本美術協会というものに或る一つの小品を高村光雲の名で出品しました。これがそもそもの私の世間的に自分の製作として公にした最初のことであった。今日までは全く蔭の仕事、人目には立たぬ仕事、いかに精力を振い、腕によりをかけたものであっても、それは私の仕事としては社会的に注目されるものではなかったのでありました。

 ここで美術協会の起りのそもそもの最初の事を話します。明治十三年頃に、当時或る一部の数奇者――単に数奇者といっては意を尽くせませんが、或る一部の学者物識りであって、日本の美術工芸を愛好する人たち――そういう人たちが、その頃の日本の絵画、彫刻その他種々の工芸的製作が日に増して衰退し行く有様を見るにつけ、どうもこのまま打っちゃって置いては行く末のほども案じられる。これは今日において何らか然るべき輓回の策を講じなくてはならない、と、こう考え及んだのであります。その人たちというのは、山高信離、山本五郎、納富介次郎、松尾儀助、大森惟中、塩田真、岸光景等十人足らずの諸氏でありました。この人たちは日頃から逢えば必ずこのことを話し合い、何か一つ適当な方法を取ろうではないかというておったが、まず何はとまれ…

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