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駅夫日記
えきふにっき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の文学 77 名作集(一)」 中央公論社
1970(昭和45)年7月5日
初出「新小説」1907(明治40)年12月
入力者川山隆
校正者土屋隆
公開 / 更新2007-03-14 / 2014-09-21
長さの目安約 71 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     一

 私は十八歳、他人は一生の春というこの若い盛りを、これはまた何として情ない姿だろう、項垂れてじっと考えながら、多摩川砂利の敷いてある線路を私はプラットホームの方へ歩いたが、今さらのように自分の着ている小倉の洋服の脂垢に見る影もなく穢れたのが眼につく、私は今遠方シグナルの信号燈をかけに行ってその戻りである。
 目黒の停車場は、行人坂に近い夕日が岡を横に断ち切って、大崎村に出るまで狭い長い掘割になっている。見上げるような両側の崖からは、芒と野萩が列車の窓を撫でるばかりに生い茂って、薊や、姫紫苑や、螢草や、草藤の花が目さむるばかりに咲き繚れている。
 立秋とは名ばかり燬くように烈しい八月末の日は今崖の上の黒い白樫の森に落ちて、葎の葉ごしにもれて来る光が青白く、うす穢い私の制服の上に、小さい紋波を描くのである。
 涼しい、生き返るような風が一としきり長峰の方から吹き颪して、汗ばんだ顔を撫でるかと思うと、どこからともなく蜩の声が金鈴の雨を聴くように聞えて来る。
 私はなぜこんなにあの女のことを思うのだろう、私はあの女に惚れているのであろうか、いやいやもう決して微塵もそんなことのありようわけはない、私の見る影もないこの姿、私はこんなに自分で自分の身を羞じているではないか。

     二

 品川行きの第二十七列車が出るまでにはまだ半時間余りもある。日は沈んだけれども容易に暮れようとはしない、洋燈は今しがた点けてしまったし、しばらく用事もないので開け放した、窓に倚りかかってそれとはなしに深いもの思いに沈んだ。
 風はピッタリやんでしまって、陰欝な圧しつけられるような夏雲に、夕照の色の胸苦しい夕ぐれであった。
 出札掛りの河合というのが、駅夫の岡田を相手に、樺色の夏菊の咲き繚れた、崖に近い柵の傍に椅子を持ち出して、上衣を脱いで風を入れながら、何やらしきりに笑い興じている。年ごろ二十四五の、色の白い眼の細い頭髪を油で綺麗に分けた、なかなかの洒落者である。
 山の手線はまだ単線で客車の運転はホンのわずかなので、私たちの労働は外から見るほど忙しくはない。それに会社は私営と来ているので、官線の駅夫らが嘗めるような規則攻めの苦しさは、私たちにないので、どっちかといえばマアのんきというほどであった。
 私はどうした機会か大槻芳雄という学生のことを思い浮べて、空想はとめどもなく私の胸に溢れていた。大槻というのはこの停車場から毎朝、新宿まで定期券を利用してどこやらの美術学校に通うている二十歳ばかりの青年である。丈はスラリとして痩型の色の白い、張りのいい細目の男らしい、鼻の高い、私の眼からも惚れ惚れとするような、嫉ましいほどの美男子であった。
 私は毎朝この青年の立派な姿を見るたびに、何ともいわれぬ羨ましさと、また身の羞かしさとを覚えて、野鼠のように物蔭にかくれるのが常であ…

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