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雪代山女魚
ゆきしろやまめ
作品ID46652
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「釣りにつられて」 福武文庫、福武書店
1994(平成6)年10月5日
入力者鈴木厚司
校正者川山隆
公開 / 更新2007-09-25 / 2014-09-21
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       一

 奥山の仙水に、山女魚を釣るほんとうの季節がきた。
 早春、崖の南側の陽だまりに、蕗の薹が立つ頃になると、渓間の佳饌山女魚は、俄に食趣をそそるのである。その濃淡な味感を想うとき、嗜欲の情そぞろに起こって、我が肉虜おのずから肥ゆるを覚えるのである。けれど、この清冷肌に徹する流水に泳ぐ山女魚の鮮脂を賞喫する道楽は、深渓を探る釣り人にばかり恵まれた奢りであろう。水際の猫楊の花が鵞毛のように水上を飛ぶ風景と、端麗神姫に似た山女魚の姿を眼に描けば、耽味の奢り舌に蘇りきたるを禁じ得ないのである。
 青銀色の、鱗の底から光る薄墨ぼかしの紫は、瓔珞の面に浮く艶やかに受ける印象と同じだ。魚体の両側に正しく並んだ十三個ずつの小判型した濃紺の斑点は、渓流の美姫への贈物として、水の精から頂戴した心尽くしの麗装に違いない。しかも藍色の背肌に、朱玉をちりばめしにも似て点在する小さく丸い紅のまだらは、ひとしお山女魚の姿容を飾っている。黒く大きい、くるくるとした眼、滑らかに丸い頭、あらゆる淡水魚のうち、山女魚ほどの身だしなみは、他に類を求め得られまいと思う。
 渓のなぎさに、葦の芽がすくすくと伸びた早春の頃は、数多く山女魚が釣れる。山の釣り人はこれを雪代山女魚といっている。また、肉充ち脂乗って、味覚に溶け込む風趣を持ってくるのは、初夏から、渓水の涼風肌を慰める土用頃である。これを至味の変と言う。
 近年、都会人に渓流魚釣りの技が普及して、三月の声を聞くともう、魚籠を腰にして東京に近い渓谷へ我れも我れもと分け入り、重たいほど釣り溜めて帰ってくる。そして、渓流魚釣りは世間で言うほどむずかしいものではない、と語るが渓流魚釣りの真髄を味わい得るのは、山女魚の活動が敏捷になった初夏の候、谷の流れが澄明、底石の姿がはっきりとなる、朝と夕べのまずめであろう。
 くさむらから香りの高い山百合が覗く崖の下に立って、羽虫に似た毛鈎を繰り、上下の対岸から手前の方下流へ、チョンチョンチョン、水面を叩きながら引き寄せるうち、ガバと水をわって躍り出す山女魚の姿を見るのは、晩春の夕陽が山頂の西の雲を緋に染めた一刻である。ひらひらと水鳥の白羽を道糸の目印につけて、鈎を流水の中層に流す餌にも山女魚の餌につく振舞に、何とも言えぬ興趣を感ずる。毛鈎の叩き釣りの豪快には比すべくもない。
 引く、引く。鈎をくわえて水の中層を下流に向かって逸走の動作に帰れば、竿の穂先は折れんばかりに撓む。抜きあげて、掌に握った時の山女魚の肌の感触。これは釣りする人でなければ語り得まい。渓流魚釣りの魅力に陶酔する所以である。

       二

 岩の割れ目から、月の雫のように清水の玉が滴り落ちる渓流の源には、山椒魚が棲んでいる。これは、源流の水温が最も低いからである。源流が下って、せせらぎとなり滝に移るところには岩魚が棲む。岩…

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