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物理学の要用
ぶつりがくのようよう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「福沢諭吉教育論集」 岩波文庫、岩波書店
1991(平成3)年3月18日
初出「時事新報」1882(明治15)年3月22日
入力者田中哲郎
校正者noriko saito
公開 / 更新2007-01-27 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 物理学とは、天然の原則にもとづき、物の性質を明らかにし、その働を察し、これを採ってもって人事の用に供するの学にして、おのずから他の学問に異なるところのものあり。たとえば今、経済学といい、商売学といい、等しく学の名あれども、今日の有様にては、経済商売の如き、未だまったく天然の原則によるものに非ず。いかんとなれば、経済商売に、自由の主義あり、保護の主義あり。そのもとづくところ、同じからずして、英国の学者が自由をもって理なりといえば、亜国の人は保護をもって道なりといい、これを聞けば双方ともに道理あるが如し。されば、経済商売の道理は、英亜両国においてその趣を異にするものといわざるをえず。
 物理はすなわち然らず。開闢の初より今日にいたるまで、世界古今、正しく同一様にして変違あることなし。神代の水も華氏の寒暖計二百十二度の熱に逢うて沸騰し、明治年間の水もまた、これに同じ。西洋の蒸気も東洋の蒸気も、その膨脹の力は異ならず。亜米利加の人がモルヒネを多量に服して死すれば、日本人もまた、これを服して死すべし。これを物理の原則といい、この原則を究めて利用する、これを物理学という。人間万事この理に洩るるものあるべからず。もしあるいは然らざるに似たる者は、未だ究理の不行届なるものと知るべし。そもそもこの物理学の敵にして、その発達を妨ぐるものは、人民の惑溺にして、たとえば陰陽五行論の如き、これなれども、幸にして我が国の上等社会には、その惑溺はなはだ少なし。拙著『時事小言』の第四編にいわく、
「(前略)ひっきょう、支那人がその国の広大なるを自負して他を蔑視し、かつ数千年来、陰陽五行の妄説に惑溺して、事物の真理原則を求むるの鍵を放擲したるの罪なり。天文をうかがって吉兆を卜し、星宿の変をみて禍福を憂喜し、竜といい、麒麟といい、鳳鳥、河図、幽鬼、神霊の説は、現に今日も、かの上等社会中に行われて、これを疑う者、はなはだ稀なるが如し。いずれも皆、真理原則の敵にして、この勁敵のあらん限りは、改進文明の元素は、この国に入るべからざるなり。
我が日本にもこの敵なきに非ざりしかども、偶然の事情によりて大いに趣を異にするところあり。我が国において、鬼神幽冥の妄説は、多くは仏者の預るところとなりて、もっぱら社会に流行したることなれども、三百年来、儒者の道、ようやく盛にして、仏者に抗し、これに抗するの余りに、しきりに幽冥の説を駁して、ついには自家固有の陰陽五行論をも喋々するを忌むにいたれり。たとえば、儒者が易経を講ずれども、ただその論理を講ずるのみにして、卜筮を弄ぶを恥ずるが如し。その仏を駁撃するはあたかも儒者流の私なれども、この私論の結果をもって惑溺を脱したるは、偶然の幸というべし。
支那の儒者も孔孟の道を尊び、日本の儒者も孔孟の書を読み、双方ともにその教の源を同じゅうして、その社会に分布したる結果におい…

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