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道成寺不見記
どうじょうじふけんき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「夢野久作全集7」 三一書房
1970(昭和45)年1月31日
初出「喜多」1935(昭和10)年6月
入力者川山隆
校正者土屋隆
公開 / 更新2007-08-20 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 恩師の一世一代という意味ばかりではない。喜多六平太の道成寺なるものを一度も見なかったせいばかりではない。喜多六平太氏の葵上を見て、怨霊ものとしての凄絶さに圧倒された体験のある筆者は、恩師六平太師をただ葵上と道成寺を舞うために生まれて来た人である。従ってこの道成寺は前後百年を通じて又見られない筈のものである。むしろ空前絶後と言いたいくらいに考えていた筆者であった。実さんもその他の友達も、是非見て置けと言った。当日ドンナ事になるか後で聞いて唸っても間に合わないぞ。折角生まれ合わせた甲斐にこの道成寺を見ない奴があるか……とさえ言われた。だから土に噛り付いても見る積りでいた。
 それが、どうしても見られなくなった無念さをドコにどうして訴えたらいいだろう。

 二十八日の当日は香椎の山の中で、ステキに早く眼が醒めた。何故そんなに早く眼が醒めたかわからなかったが、そのうちに今日が二十八日と気が付くと、立ってもいてもいられなくなった。見るもの聞くものイライラチラチラして来るので一日中、奥歯を噛みしめてジッとしていた。筆なんぞ執る気は無論しないから、古い自分の作品を読んで午睡にかかったが、どうしてもねむれない。頭の中がシュルリアリズムの絵みたいに冴えかえって、自分の作品が単なる活字の行列に見える向うに、四谷の舞台と釣鐘が見える。急の舞いの太鼓が聞こえる。烏帽子がキリキリキリと虚空に回転して飛んで行く。鐘がグーッと下って来る。ああたまらない。ビッショリと汗を掻いて起き上る。トテも睡れない。
 午後になるのを待ちかねて、野球を見に行ったが、そのうちにやっと落着いて家に帰れた。
 あとから聞くと、一日中機嫌が悪くて、妻子が弱ったそうであるが、自分は極力ニコニコしている積りであった。何かしら非常に疲れていたようで、早くからグッスリと睡った。日記も当日は白紙になっている。
 二、三日してから先輩江戸川乱歩氏と大下宇陀児氏から道成寺の感想を知らせて来た時には非常に嬉しかった。あんまり嬉しかったので実さんに頼んで「喜多」に掲載して貰うことにした。それに続いて坂元雪鳥さんが朝日に書かれた能評を、同じく能キチガイの従妹が切り抜いて送ってくれたので、スッカリ当日の印象がまとまってしまった。乱拍子の中で身体を曲げて鐘を見た。鐘が手に届かない位高かったのを見事に飛んだ……云々の二項で、当日の出来がゾッとするほどハッキリとわかった。六平太氏の覚悟と実さんの覚悟が、決死以上に陶酔していた心境が、今でも背中をゾクゾク匍いまわっている位よくわかった。或る意味で自分が見た以上に満足した。これは決して負け惜しみでない。と、いう理由は左の通りである。

 現代の文士とか批評家とか、又は学者、その他の芸術研究家、もしくは芸術愛好者の類で、時々「能」にチョッカイを出す人があるが、筆者の思うほどに「能」に突込んでく…

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