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実さんの精神分析
みのるさんのせいしんぶんせき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「夢野久作全集7」 三一書房
1970(昭和45)年1月31日
初出「喜多」1932(昭和7)年9月
入力者川山隆
校正者土屋隆
公開 / 更新2007-08-23 / 2014-09-21
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 実さんの精神分析と言っても、私が実さんの精神を分析するのじゃない。実さんが自分の精神を分析して見せる事が多いことを言うのである。モウ一歩進んで言うと、実さんの能は非常に精神分析的であるという……そのことを言うのである。
「喜多」の第何号であったか、誰であったか記憶しないが、いずれにしても最近の事のように記憶する。実さんの能は、喜多流内のほかの人のと違って一種異妖な感じがする……とタッタ一コト書いてあった。それを見た刹那に私は何かしらヒヤリとさせられるものがあった。さてはアレに気付いているのはオレ一人じゃないな……と思ったので……。同時にその異妖な感じの本源を、誰かが突き止めて明るみにサラケ出したら、妖怪実さんが、「ギャッ」と叫んで寂滅しはしまいか。平々凡々の喜多実となって、二度と能が舞えなくなりはしまいか……といったような気がしたので……。
 女というものの気持はエタイがわからない。だから魅力があるのだ。と西洋の頭のいい奴が言ったそうである。だから実さんの能にあらわれる妖気もエタイがわかったら魅力がなくなるかも知れぬ。
 実さんの風采は何だか能楽師らしくない。剣劇の親分か、ジゴマのエキストラみたいなスゴイ処がある。しかしよく気を付けてみると実さんの舞台上の妖気はその風采から出て来るのではない。その証拠には平常向い合って話していると、あの風采がソックリそのまま、実にタヨリない、涙ぐましい位のお坊ちゃんに見えて来る。無論、喧嘩なんぞは絶対に出来ないヘロヘロ腰の臆病者で、精神的のスゴミなんぞはミジンもない。
 ところが実さんの能を見ると、六平太先生や粟谷、後藤の諸先生はもとより、他流の諸先生の何人とも全然違ったスゴ味が全体に横溢している。桜間金太郎氏の演出なぞは素人眼にはスゴミが横溢しているようであるが、よく見ているとそのスゴ味は金春一流の意識的な気合い(アテ気と言っては過ぎる)から生まれたものであることが次第次第にわかって来る。これに反して実さんのは表面的にパッと来るスゴ味はない代りに、能全体が見れば見るほど悽愴たる感じがして来る。その間からシンシンと一種の妖気がほのめき出る。アレは何であろうか。
 六平太先生のお能を見ていると花園の中を行くような……又は名画の連続を見るような有難い……トテモ気楽な気持になる。文句なしにいいお能だなと思わせられる。そのほか粟谷さんの宛転自在さ。後藤さんのお手本のようにコックリとした演出味なぞ、いずれも立派な明るい、舞台表現として頭を下げさせられるが、実さんのお能を見ると、そんなものがちっとも感じられない。サッパリ面白くない。暗い。つまらない。荒地の中で建築の骨組だけ見せられているような気持になることが多い。どうかすると面と装束を着た骸骨が、型通りに謡い舞っているように見えたり、又は何処かの拳闘の選手が、昔の大家の霊に魘されなが…

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