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香熊
かおりぐま
作品ID46741
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「『たぬき汁』以後」 つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年8月20日
入力者門田裕志
校正者松永正敏
公開 / 更新2007-01-15 / 2014-09-21
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

  一

 このほど、友人が私のところへやってきて、君は釣り人であるから、魚類はふんだんに食っているであろうが、まだ羆の肉は食ったことはあるまい。もし食ったことがないなら、近くご馳走しようではないかというのだ。
 そうかそれは耳よりな話だ。馬の肉、牛の肉、豚の肉は世間の誰でも食っているから、これは日本人の常食だ。ところで僕は若いときからいかものが好きであって、永い年月の間に鹿、狸、狐、猿、鼠、猫、栗鼠、木鼬、羚羊、犬、鯨、海狸、熊、穴熊、猪、土竜など、内地の獣類は、いろいろ食べたことがある。だが、不遇にも羆の肉だけは、いまもって食ったことがない。
 獰猛にして巨大、しかも狡猾にして人間の肉と、馬の肉を好むという羆は、一体どんな肉の味を持っているのだろう。早く、食べてみたいものだと友人に答えた。
 こう約束して四、五日過ぎたが、なかなか羆料理ができるから駈けつけろ、という知らせがこない。そこで私は、鳴る咽を押さえながら友人のところへ押しかけて行き、君、羆をいつ捕ってくるのだい。先日の話は嬉しがらせの駄法螺だろう。常識で考えてみても分かるが、あの狂暴な羆がちょいとのことで、君らの手に入らないのは知れている。
 嘘なら嘘と、ここで白状してはどうかと詰めよせると、からからと笑って友人が答えるに、あれは僕が山へ行って撃ち獲ってくるという話ではない。実は、報知新聞社が熊狩隊を組織して北海道へ押し渡り、アイヌの名射手三名に内地人の猛獣狩り専門家二名を加え、それに勢子二十人ほど集めて、苫小牧の奥、楢前山の中腹へ分け入り、今熊狩りの最中だ。四月上旬、吹雪のなかで一頭の黒熊を撃ち止めたという報せがあったから、その肉を送ってくれと電報したところ、それは我々射手と勢子とで、舌鼓をうってしまった。しかし、次に獲れた熊の肉は必ず送るから、しばらく辛抱してくれと、返電があった。
 その翌日だ。長い電報が、苫小牧からきた。第二陣は、白い草原に追い撃ちの策戦にでたところ、とうとう撃ち倒したのが、体重八十貫もある羆だ。北海道は、羆の産地というけれど近年は甚だ姿が少なくなった。だから、今回撃ち止めたのは珍しいことである。その肉を送ったから、賞味してくれというのだ。
 それが、いま北海道から届いたばかりだ。石油箱にぎっしり詰まって一杯ある。君がいかに貪食であっても、これは食い尽くせまい。ところでだ、同好の士を語らい、これを料亭へ持ち込んで、多勢して試食してみようではないか、という豪勢な次第となった。
 そういうわけであったか。何も知らぬこととて悪かった。僕は前言を取り消す。

  二

 いよいよ、羆の肉を小石川春日町のさる支那茶館へ持ち込んだ。
 私は幼いときから熊とは縁が深い。私の父は茶人であって、私がまだ十歳位のころ、秩父山の方から、一頭の子熊を買ってきた。丸々と肥っているが、大きさは子犬ほ…

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