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利根川の鮎
とねがわのあゆ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「垢石釣り紀行」 つり人ノベルズ、つり人社
1992(平成4)年11月20日
初出「つり人」1948(昭和23)年4月~5月
入力者門田裕志
校正者湖山ルル
公開 / 更新2015-12-14 / 2015-09-01
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

人生の旅

 これは、私が十八、九歳のころ考えたことである。そして今もなお、それを想っているのである。
 六十歳といえば、人生の峠の頂を過ぎた。しかし、まだ我が人生の旅は遠くいつまでもいつまでも寂しく続いてゆくであろう。根も張りも尽き果てた疲れを負って歩く、灰色の路の我が人生の旅の行方を想うと、堪え難く寂しく悲しい。
 前途に希望はないのである。我が力を顧みれば、大きな望みを持てないのが当然であると思う。五十歳くらいまでは、前途に何か自分を待っているような気持ちがあった。絢爛たる花園が、未知の将来に明るく優麗な風景を展げているような希望を抱いていたのであるけれど、この一両年このかた私の前途には、なにも待っていないのを、はっきり見きわめたのである。行けども行けども、灰色の路を歩こう。
 だが、私は生に諦めをつけてはいない。自殺も思わぬ。ただ、生きているがままに生きてゆこうと思う。働かねば餓死するのは当然であるから働こうと思うだけである。つまり、私は生ける屍と同じであるのである。
 顧みると、六十年という人生は、短いようでもあり長いようでもあった。けれど、その六十年に何をなしたのであろう。親不孝と流浪と懶惰と遊酒と、そのほかに何をなしたであろう。まことに、取るに足らぬ人生であった。有害無益の人生であった。実に意味なき人生であった。思えば思うほど、悲しき寂しき人生であった。学びに勉めず、仕事に励まず、蕩兒の姿が私の過去のすべてであった。世の中に対しては言うまでもないが、身近なもの、親のため、妻のため、子のため、友のために何一つなしてこなかったではないか。
 痛恨きわまりなき、我が人生であったのである。
 しかしながら、こうした悲しい想い出のうち、僅かに私を慰めてくれるものがある。それを想い出し、頭に夢を繰り返す時だけ、私の悲痛は救われるのである。というのは、過ぎし私が経てきた長い年月にわたる「水と山」の巡礼である。
 私は、私に幼いときからの「水と山」の巡礼の想い出がなかったならば、私の人生は地獄の苛みであったであろう。私は、過ぎし水と山の旅を追想しては、貧困な人生にせめて潤いを求めているのである。
 行末にねがっても、同じ想いである。もうあと幾年生きられようか。よし、これから二十年三十年生きられたところで、己も満足し、世の人も認めてくるような仕事が、何一つなし得る見込みもない。だが、これからもなお、水を訪い山を訪ね、そして水も山も温かく私を抱擁してくれるであろうと思うだけが、せめて私の生へのきずなである。過ぎし日の水と山との旅の回顧、またこれからも遠く山と水が私を待っているのを想うことを許されるならば、なんで生への執着を抛つことができよう。
 私はここで、過ぎし日の水と山の旅、六十年の想い出を、記憶するがままに播いてゆきたいと思う。

ふるさとの水

 なんとし…

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