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なまず
作品ID46753
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「『たぬき汁』以後」 つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年8月20日
入力者門田裕志
校正者松永正敏
公開 / 更新2007-01-23 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 私は、鯰の屈託のない顔を見ると、まことに心がのんびりとするのである。私もあんな顔の持ち主に生まれてくればよかったな、と思うくらいである。
 小さな丸い眼、大きな口、下顎の出た唇、左右に長く伸びた細い髭。あの髭は人間として真似ようもないが、あの顔全体から受ける印象は聖賢の風格を持っている。私の古い友人に中井川浩という茨城県選出の代議士があった。この人物の顔は、実に鯰によく似ている。下顎が出て、口の大きいところ、眼の可愛らしい出来具合。それが彼の顔が赤茶でなく、もし泥青色であったら、先祖は鯰であったかも知れぬと思うほどである。そして中井川は気持ちが素直に、ものにこだわりのない大きな風を持っていた。
 日本では鮎と書いてあゆと読ませるのであるが、中国では鮎という文字は、なまずを指すのである。してみると、鯰という字は日本でこしらえたのかも知れない。なお中国では、[#挿絵]魚とも書く。
 大和本草には、昔から日本には箱根山から東北には鯰がいないといってある。これは、箱根から西には化け物がいないというのと、好一対をなすものだが、東北地方には鯰がいなかったというのはあてにはならない。ところが魚譜によると、享保十四年九月一日、武州井之頭の池に洪水が起こり、それが氾濫して江戸へ流れ込み、あたりに満ちて大河のようなありさまとなり、人家が流れ人馬の溺死した数は夥しい。
 それからのち、この辺にはじめて鯰を見るようになったというのであるが、享保といえば今から僅か二百二、三十年の昔である。そのころ、鯰が箱根山を越えて関東へやってきたとは思われぬ。大昔から東北地方にも棲んでいたのであろう。
 日本内地では、一尾で一貫五、六百匁に育ったのが、一番大物であろうと思う。ところが、満洲には頗る大物がいる。殊に、満蒙国境のノモンハンに近いホロンバイルの達※[#「口+懶のつくり」、U+210E4、183-9]湖には一尾で十貫目、六、七尺の奴が棲んでいるのであるから驚く。こんなのを鈎にかければ、人間が水のなかへ引き込まれて竜宮行となることは請合いだ。
 わが、琵琶湖にも昔は頗る大物がいたそうである。この大物は、夜になると岡へ出てきて猫を捕らえて食ったという。
 中国の鯰は、頭は水中に置き、尻尾を岡へ出して置く。そこへ野鼠がやってきて、結構なご馳走であるとばかりその尻尾へ噛みつくと、その途端に鯰は尾に跳躍を起こして鼠を水中に引っ張り込み、一口にあんぐりと鼠を頂戴するという。



 鯰は妖怪変化の術を心得ていて、大入道に化けた話は、そちこちにある。中国の鯰は孔子さまを脅かしに行った。捜神記[#「捜神記」は底本では「挿神記」]という化け物のことばかり書いた古い中国の本に、孔子さまがある夜一人で室に引き籠っていると、一人の異様な風体の男が訪ねてきた。見ると身の丈九尺に余る大男で高い冠をかむってい…

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