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うむどん
うむどん
作品ID46769
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「完本 たぬき汁」 つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年2月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-04-27 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 物が高くなって、くらしに骨が折れてきたのは私の家ばかりではあるまい。どこでも、同じであると思う。殊に、私の家庭のように田舎から出てきたものには、それが一倍身にこたえるのである。
 家内も、子供も野菜が好きだ。山国にいたころの家族は、お正月とか物日とかでなければ塩ものの魚さえも味わうことができないのであった。だから大量の野菜がなければ一日も過ごされない習慣を持っている。野菜がなによりも好物であるのは致し方がないであろう。
 ところが、このごろでは、葱が十銭に六、七本、大根が一本二十五銭、小松菜が束十三銭、八ツ頭が一箇十銭とあっては、やりきれない。家内が、お勝手で悲鳴をあげているのである。故郷にいたときは、屋敷の前の畑から、芋でも菜っ葉でも食べたいだけ取ってきたのに、このごろでは野菜を食うことは、おかねそのものを食うようなものだ、と嘆くのだ。こんな訳で、野菜を食う量も自然に少なくなってくる。哀れであるが、いたし方ない。
 それからまた、都会へ住むようになると生魚や肉類の味を覚えるのも無理はないのである。その上に米、味噌、醤油、砂糖など手に入れることさえ、一年前とはようすが変わってきている。銭を持って行ったところで、おいそれとは売ってくれないのだ。炭のことでは、家族手分けして知人や親戚を頼み歩いた。
 このほど、家内一同で、なにごとも時世のためだ、できるだけ物の節約をしようね、などと話していると、そこへ町会の世話人が大きなビラを配ってきた。それを読んで行くと、米を節約するために、代用食として饂飩と麺包とが大いに奨励してある。これをみて、二人の子供ははしゃぎ立って喜んだ。
『お母さん、僕うむどん大好き』
 大きな子供は、こういって相好を崩した。この子供は母乳が少なかったので幼いときから饂飩を食べならされていた。だから、いまでも饂飩が大好物なのである。田舎にいる時分は、ただうどんといっていたが、東京へきてから何処で聞き覚えてきたのか、うむどんと言うようになっている。
『わたし、パン』
 と、妹の方がつづいていった。この子は、どういうわけか小さいときから麺包が好きだ。
 そのことがあってから兄の方は、夕方学校から帰ってくると、うどんかけを二杯ずつ毎日食った。そして、まだ物足らぬような顔している。この子は、もう中等学生であるから、学校から腹をペコペコにして帰ってきて、うどんかけ二杯くらいでは、充分というわけには行かぬのは自分たちにも覚えがある。
 妹の方は、朝も麺包、お弁当も麺包にしたいというのだ。朝の麺包のときは紅茶に角砂糖をいれてください。お弁当には、三盆砂糖だけでいいわ、などという。
 そこで驚いたのは家内である。饂飩も麺包も一週間に一度、せめて二度位であったなら、なんとか家計の繰りまわしもやれますが毎日では堪りません。麺包が一斤二十五銭、うどんかけが二杯で二十銭…

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