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桑の虫と小伜
くわのむしとこせがれ
作品ID46776
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「垢石釣り随筆」 つり人ノベルズ、つり人社
1992(平成4)年9月10日
初出「釣趣戯書」三省堂、1942(昭和17)年
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-06-24 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私の故郷の家の、うしろの方に森に囲まれた古沼がある。西側は、欅や椋、榎などの大樹が生い茂り、北側は、濃い竹林が掩いかぶさっている。東側は厚い桑園に続いていて、南側だけが、わずかに野道に接しているが、一人で釣っているには、薄気味が悪過ぎる。
 そこには、鮒と鯰が数多く棲んでいる。十一、二歳になる私の伜は、学校から帰ってくると、おやつを噛み噛み、釣り竿を担いでその沼へ出かけて行った。ある秋の日、この小伜がその古沼から大きな鮒を、一貫目近いほど釣ってきた。伜は、息をはずませながら、手柄を誇るのであった。
『それは偉い――ところで、餌はいつもの通り、みみずを使ったのか』
 と、問うてみた。
『みみずじゃない、桑の虫だよ』
『なんだ、桑の虫だ? そんなものが餌になるのか』
『父さん、知らないのかい。駄目だねえ』
『ほんとうか』
『僕、うそ言わないよ。今日はじめて使ってみたんだ』
 伜が、こう答えて語るのを聞くと、その日は餌のみみずが少なかったのだが、鈎を入れると、次から次へ口細に取られてしまって、餌が一匹もなくなった。困り果てて、ぼんやり沼の面を眺めていると、対岸に生えている大きな榎の枝から一匹の小さな青虫が、糸をひいて垂れ下がってきた。
 糸をひいた青虫が、やがて水面へ達して水に触れると、その途端に大きな魚がそれを呑み込んでしまった。その魚は、鯉であったか鮒であったか鯰であったか、姿は分からない。ただ、その場に水輪が残るのみであった。
 村の子供たちは、秋になると桑の葉に小さな青虫がつくのを知っている。葉の裏に皺をよせ、その皺に細い糸を幾筋もわたして隠れ棲んでいる長さ一分五厘くらいの小虫である。私の小伜も、それを知っていた。榎の枝から小さな青虫が垂れ下がったのを沼の魚が奪い食ったのを見て、想い当たったらしい。
 すぐ桑畑に分け入って、桑の虫を捕らえ、これを鈎にさして、試しに沼へ放り込んでみた。入れて間もなく当たりがある。上げると七、八寸の大型の鮒だ。続いてまた当たりだ。
 こうして、鮒を一貫目近くも釣ったと言うのである。
『お前は、面白い餌を発見したな』
『うん』
 小伜は、甚だ得意だ。
 そこで、私は考えた。鮒が好んで食う餌ならば、はやも食わぬというわけはない。新餌というものは、どの魚からも歓迎されるものだと気付いたのである。
 その翌朝早く起きて、畑から数多い桑の虫を捕ってきた。折りから日曜日であったので、小伜を伴って、利根川の備前堀淵へ行った。いつも山ぶどうの虫や、蛆を餌にしてはやを釣るのであるけれど、この朝は桑の虫だけを餌につけたところ、はやの嗜好に適したか、素晴らしい大漁をした。伜に、はやの脈釣りの鈎合わせの呼吸を伝授したのも、このときであった。伜はこのごろ、はや釣りには一人前の腕になっている。
 そんなことがあってから、今度は笹の葉の虫を使ってはや釣り…

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