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小伜の釣り
こせがれのつり
作品ID46780
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「垢石釣り随筆」 つり人ノベルズ、つり人社
1992(平成4)年9月10日
初出「釣りの本」改造社、1938(昭和13)年
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-06-24 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 こうして私は、長い年月東西の国々を釣り歩いた。そして、五、六年前に、何十年ぶりかで故郷に帰り住むようになり、再び利根川の水に親しんだ。
 もう、長男が十二、三歳になっていた。私が、亡き父に伴われては河原の陽に照らされていた年頃である。子供が次第に大きく育っていくのを見るのは、何事にもかえがたい。その子が、不出来であろうが、まずい顔をしていようが、まず息災にすくすくと伸びていくさまを見るほど、心安さはないのである。子供を育てるのは畢生の大事業だ。そして、それに天恵の快興が伴う。
 わが父も幼き私を、楢林の若葉のかげに、末たのもしく見たのかも知れない。
 私の長男も、私と同じように釣りが好きのようである。かつて、この子が五、六歳の頃、私は奥利根川沼田地先の鷺石橋の下流へ、山女魚釣りに連れて行ったことがあるが、それから一度も川へ伴ったことがなかった。けれど、尋常小学校五、六年頃になると、母親の眼を隠れては近くの池や川へ行くようになった。裏の薮から、篠笹を切ってきて、それに母の裁縫道具の中から縫糸を持ち出して道糸をこしらえては、鈎を結んで出て行った。夕方帰ってくると、広い台所の隅へ生きている鮒や鯰を入れた兵庫樽を置いて、時々ながめては楽しんでいる。
 私は『自分の子供の時と同じようだ』と、考えてほんとうに微笑ましかった。
 家内は『勉強をそっちのけにして置いて、鮒ばかり釣っていちゃ困る』と言って、私に叱るように言うのであった。
 近所にも、子供の仲間がいる。その子供の親達が川辺で自然に親しんでいるのを見て、口やかましく叱るのを見た。けれど私は家内に、
『人間は、未開な遠い祖先の時代から釣りや猟で生活してきたのだ。それが、潜在意識となって今の人間にも残っている。子供が、魚を釣ったり昆虫を捕らえたりして喜ぶのは、その潜在意識を偽らず飾らずかたどるのであるから、はたでたしなめるのは、子供の天性をまげるようなものだ』
 と、いったふうな意味のことを語って、小伜のただ一つの楽しみを妨げさせなかったのである。
 少し大きくなると、薮から切ってきた竹では満足しなくなった。糸も、縫糸では面白くない、と私に言う。安い竿を買ってやり、糸もテグスを与えるようになった。
 ある秋のはじめ、村の地先の利根川へ流れ込む備前堀という小川の流れ口へ、小伜を連れて行ったことがあった。備前堀の流れ口へは、秋がくると毎年よく肥った大きなうぐいが数多く遡ってくるのである。私も子供の時、たびたび父に伴われてここで釣った。で、このうぐいは桑の葉の裏に這っている小さな青虫が大好物である。これを、鈎の先につけて釣ると他のどの餌をつけたのより成績がいい。
 その朝も、小伜にたくさんの桑の虫を捕らせた。竿と釣り道具も、私と同じようにこしらえてやった。竿は二間のやわらかいもの。道糸には水鳥の白羽を目印につけた脈釣り式…

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