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採峰徘菌愚
さいほうハイキング
作品ID46782
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「完本 たぬき汁」 つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年2月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-04-24 / 2014-09-21
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一

 篠秋痘鳴と山田論愚の二人が南支方向へ行くことになった。そこで私は、伊東斜酣と石毛大妖の二人を集めて、何か送別の催しをやろうではないか、という相談をはじめたのである。
 なかなか、名案が出てこない。ことあるたびに、酒ばかり飲みたがるのは時節柄大いに慎まなければならないし、釣りにはこの前の日曜日に、上総の国竹岡へ遠征したばかりだ。何かほかに面白い考えはないか、というので銘々想を練った。ところがややあって、斜酣があるあると言って膝を打つのだ。
 採蜂ハイキングがよかろう、と言う。採蜂ハイキングというのは一体どんなことをやるのかと問うて斜酣が説明するところを聞くと、一見は百聞に勝るというから、細かなことは現地において実演してみせるが、要するに蜂の子を採って、それを酒の肴にすることだ。
 また、酒か?
 いや、酒はつけたりであるが、蜂の子のおいしいことは、
  本草綱目に、
頭足未成者油炒食之
 とある通り、日本人から支那人に至るまで誰も知らぬ者はあるまい。僕の郷里信州諏訪地方では昔から、秋の佳饌としてこれの右に出ずるはないとしている。だから、近年では地蜂の種をほとんど採り尽くしてしまって僕の子供のときのように、たびたびご馳走になれないことになったが、近年蜂の子の佳味が次第に人々の理解をうけて需要が増したから、地蜂の桃源郷といわれた浅間山麓へ、蜂の子の缶詰会社ができた。
 だが、缶詰製造がはげしいので、浅間山麓の地蜂も悉く退治されてしまい、さきごろ缶詰会社は野州の那須ヶ原へ引っ越してしまったという話だ。
 本草綱目には頭足まだ成らざる者を油で炒って食うとあるが、ほんとうにおいしいのは、既に肢翅成って巣蓋を破り、まさに天宙に向かって飛翔の動作に移らんとするまで育ったのが至味というのである。それを生きているまま食うのが、本筋の蜂の子通だ。肢翅なればお尻の針も、充分に人を刺すだけの力が備わっている。だからそれを、生きているまま口へ放り込んだ瞬間、針で舌縁を刺されるか、その前に逸早く奥歯で噛み殺すか、というスリルも共に味わうので、稚鮎を梅酢に泳がせ、梅酢を含んだところを生きているまま食うなど、この比ではない。
 それは、甚だ物騒なご馳走だね。
 しかし、僕は決して針の生えた生きている蜂をそのまま口へ放り込めとは言わん。やはり、頭足いまだならざる幼いそしてやわらかい子の方が、初心者に歓迎されるのだから、いよいよ蜂の巣を採って来たならば、諸君は自分の好きな方を食うがよかろう。
 蜂の子を一匹ずつ巣から、ピンセットで引っ張り出し、それをそのまま味醂、醤油、砂糖でからからに煮てもよし、塩にまぶして焙烙で炒ってもいい。油でいためればさらによく、蜂の子めしに至っては珍中の珍だ。
 とは言え、さきほど申す通り、塩をふって生きているままを食うのに越したことはないのである。そ…

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