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たぬき汁
たぬきじる
作品ID46792
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「完本 たぬき汁」 つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年2月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-04-16 / 2014-09-21
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一

 伊勢へななたび熊野へさんど、という文句があるが、私は今年の夏六月と八月の二度、南紀新宮の奥、瀞八丁の下手を流れる熊野川へ、鮎を訪ねて旅して行った。秋の落ち鮎には、さらにも一度この熊野川へ志し、昭和十五年の竿納めとしようと思っていたところ、心なき台風のために山水押しだし、川底荒れてついに三度目の旅は、あきらめねばならなかった。
 二度目のときの帰り路は、やはり六月のときと同じように、新宮市から木の本へ出て、そこから三時間ばかり省営自動車に乗り、十里あまりの長い矢の川峠(やのこ)を越えて、尾鷲へ下ったのである。矢の川峠は、紀伊と伊勢と大和の三国の境をなす大台ヶ原山を主峯とした台高山脈が南に走って高峯山となり、その裾を熊野灘に浸そうとする肩の辺にあってなお標高二千五百尺。随分難路を重ねた高い峠だ。
 大台ヶ原を中心とした深い天然林は、昔から猪の産地で、ここの猪は味において国内随一であるときいていた。これにつぐのが伊豆の天城山、丹波の雲ヶ畑、日向の霧島山あたりで猟れるものであるそうだが、紀州の猪が最も味がよろしいというのは、ここが団栗林に富んでいるからであると言う。団栗は、楢の木に実るのが第一に粒が大きく次が椚、樫という順になる。猪は団栗が大好物で、楢の実をふんだんに食った奴こそ、猪肉の至味として人々から珍重されているのである。
 折りから八月の末近く南国とはいいながら、車の窓に輾転する峠の山々にどこか秋の気が忍び寄って、山骨を掩う木の緑の葉も、艶彩のさかりを過ぎていた。やがて、遠からず団栗も色づいて、猪の肉を肥やす季節がくるのであろうなどと、まことにのんきなことを考えながら、峠のてっぺんの茶屋の縁台に梨子を噛って、四方の風景にながめ入った。
 ところが私は、大した事件を発見した。それは矢の川峠を下って、尾鷲駅から汽車に乗るとき買った大阪新聞の産業欄に、このたび理化学研究所で、団栗から清酒を醸造することを発明し、全国各県の県農会に依頼して、大々的に団栗を集めるという記事を読んだのである。そして、その記事の終わりの方に、和歌山県農会当局の談として、本県でも理研からの依頼により晩秋になったならば、全県の小学生を動員して、山林から盛んに団栗を拾わせる。たしかな見当はつかないが、およそ全県で二、三万石は集まるであろう、というのがあったのだ。
 いままでは、団栗とはただ俳味を帯びた山野の邪魔物であるとしか思っていなかったのであるけれど、これによると我々人生と甚だ密接の関係を持ってきたようだ。我々、嗜酒漂泊の徒は、声をあげて万歳と叫ばねばならない。
 だが私はこの記事を一読してなんとなく、一抹の虚寂を感じた。と、いうのは猪の身の上のことである。団栗の稔りの秋に、小学生が大挙して山野を跋渉すれば、猪群は忽ち食料難に陥るだろう。
 今冬の猟期には、猪は痩せほそり皮…

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