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父の俤
ちちのおもかげ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「垢石釣り随筆」 つり人ノベルズ、つり人社
1992(平成4)年9月10日
初出「釣りの本」改造社、1938(昭和13)年
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-06-16 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 手もとは、まだ暗い。
 父は、池の岸に腹這いになって、水底の藻草を叉手で掻きまわしている。餌にする藻蝦を採っているのである。
 藻の間を掬った叉手を、父が丘へほおりあげると、私は網の中から小蝦を拾った。藻と芥に濡れたなかに、小さな灰色の蝦がピンピン跳ねている。
 母は、かまどの下で火を焚きはじめたらしい。池のあたりまで薪のはねる音が聞こえてくる。昧暗から暁へ移った庭へ、雄鶏が先へ飛び降りて、ククと雌鶏を呼んだ。
 初夏とはいうけれど、時によっては水霜も降りるこの頃では、朝の気は私の小さな手に冷たかった。
『もう、行こうよ!』
 私は、いくども父を促した。けれど父は、
『待て待て、餌が少ないと心細い――いい子だな』
 と、言ってなおも、叉手を忙しく動かして池の水を濁している。
 それは私が小学校へ入学して間もない時であったから、七、八歳の頃であったにちがいない。私はそんな小さい時から、父のお供をして若鮎釣りに使う餌採りの相手をさせられた。海から下総の銚子の利根の河口へ入って、長い旅を上州の前橋近くまで続けてくる若鮎の群れは、のぼる途々、淡水にすむ小蝦を好んで餌にするのである。だから、その頃まだ加賀国や土佐国で巻く精巧な毛鈎が移入されなかった奥利根川の釣り人は、播州鈎や京都鈎に藻蝦の肉を絞り出し、餌としてつけたのであった。
 若鮎の群れは、鈎先につけた蝦の肉を見ると、競い寄って食った。鈎の種類など選ぶ必要はないほど、数多い鮎が下流から遡ってきたのである。
 竿は、薮から伐り出したばかりの竹でもよく、場合によれば桑の棒でもこと足りた。近年のことを想えば嘘のように釣れた。
 朝の飯を食べると、私はちょこちょこと父の後にしたがった。前橋から下流一里ばかりの上新田の利根河原へ行ったのである。
 父は、三十歳前後の、勘のいい盛りであったのだろう。私は、河原の玉石の上へ腰をおろして、竿さばき鮮やかな父を眺めた。いまから想い出しても、父は釣りが上手であったと思う。二間一尺の小鮎竿を片手に、肩から拳まで一直線に伸ばして、すいすいと水面から抜き上げる錘に絡んで、一度に二尾も三尾も若鮎が釣れてくる。そのたびに、幼い私は歓声をあげて、網魚籠の口を開けては、父の傍らへ駆け寄った。
 私は、父より先にお腹が減った。包みから握り飯を出して頬張ったのを顧みて、父は、
『はじめたね』
 と、言って竿の手を休めた。そして、竿を石の上へ倒しておいて、私と並んで小石の上へ胡座したのである。
 五月の真昼は、何とすがすがしい柔らかい風が吹くことであろう。小石原から立つ陽炎がゆらゆらと揺れる。砂原の杉菜の葉末に宿った露に、日光が光った。
 眼の前の、激流と淵の瀬脇で、ドブンと日本鱒が躍り上がった。一貫目以上もある大物らしい。
 日本鱒も、川千鳥と同じように、若鮎が河口へ向かうのと一緒に、遠い太平洋の親…

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