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濁酒を恋う
どぶろくをこう
作品ID46801
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「完本 たぬき汁」 つり人ノベルズ、つり人社
1993(平成5)年2月10日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-04-27 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 遠からず酒の小売値段は、いままでの倍額となるらしい。つまり、一升三円であったものが六円ということになるのだろう。
 だから、晩酌を二合ずつやった者は、一合にへらさなければ勘定が合わなくなる。私など、それで辛抱するよりほかに致し方がないと観念している。
 ところが、私の友人にそんな簡単にあきらめられるものではない、と言うのがいる。自分は酒を飲むのが楽しみで毎日仕事をしているようなものだ。だのに、その酒を次第々々に減らさなければならないとあっては、仕事がやれなくなる。仕事がやれなければ、結局餓死するばかりだ。しかし、相場が自然に高くなって行くのに、どこへ苦情の持って行きようもない、と言って毎日しおれているのだ。
 そこで友人は、この正月を控えて、四斗樽一本を工面した。まず、大袈裟に言うと酒の買い占めだ。小売値段が急騰しないうちに、という用心である。
 そして、この一本飲み終えたのちは、もうどんなに値段が高くなってもかまわない。人生を諦めると大きく構えて落ちつきはじめた。
 四斗樽を買い込んだ翌日、――君にもあの音を聞かせてやりたいね、実にたまらんよ。僕のところのお勝手は、手ぜまなものだから、四斗樽を玄関へ据えつけた。昨夜おそく仕事から帰ってきて、僕が茶の間の餉台の前へ胡座をかいていると、女房が片口を持って玄関の方へ出て行った。すると、ややあって、ゴクという音がするのだ。それから、二息三息してからゴクという響きがする。女房が、樽の口を引いたらしいのだ。折りから夜半の一時近い頃だから、近所となりは深閑としている。ゴク、という音が玄関の三和土の土間に反響して、何とも快い律調を耳に伝えるじゃないか。この音を聞いただけで、もう僕は往生を遂げても、かまわんと思ったよ。それから、いいあんばいに燗をつけて、一献咽へ奉ると、その落ちのいいこと。どうだい、君も一本四斗樽と買い込んでは。
 冗談じゃない、俺にはそんな銭はないよ。それは気の毒だ。では夜半すぎに毎晩僕のところの玄関の外へきて、あの音だけを聞いて楽しむことにしてはどうだ。こんな訳で爾来毎日、友人はまことにいい気持ちになっているのである。いよいよ清酒が飲めないことになれば、私は濁酒でやろうかと考えている。濁酒の味も捨てたものではない。濁酒を燗鍋で温めて飲むのも風雅なものだ。私の子供の時分には故郷の村の人々は自家用の醪を醸造しては愛用していた。
 当時、酒の税制がどんな風になっていたか知らないが、私のとなりの家に、飲兵衛のお爺さんがいて、毎日炉傍で濁酒を、榾火で温めては飲んでいたのをいまも記憶している。納戸部屋の隅に伊丹樽を隠しておいて、そのなかへ醪を造り、その上へ茣蓙の蓋をして置く。それを、一日に何回となく杓子で酌み出しては鍋にいれてくるのだ。
 ときどき、村の駐在巡査がやってきて、大きな炉のそばの框に腰をかけ、洋刀をつけ…

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