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鱒の卵
ますのたまご
作品ID46812
著者佐藤 垢石
文字遣い新字新仮名
底本 「垢石釣り随筆」 つり人ノベルズ、つり人社
1992(平成4)年9月10日
初出「釣趣戯書」三省堂、1942(昭和17)年
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2007-06-26 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 秋がくると、山女魚は鱒の卵を争って食うのである。わが故郷、奥利根川へ注ぐ渓流には落ち葉を浮かせて流れる浅瀬に、鱒の産卵場を見ることができるのだ。これを、鱒が掘りについたという。
 日本鱒というのか、天然鱒というのか、海から川へ遡ってくる鱒は、アメリカから移り殖えた虹鱒とか川鱒とか、北海道から内地へ移して人工で繁殖した鱒に比べると、比較にならないほど、姿も大きく味も上等である。奥利根川へは、大正十五年の春まで、下総国の銚子河口の海から遡ってきた。
 大正十五年春に、上越線岩本駅地先へ関東水力電気の堰堤ができあがると、もうそれからは全く日本鱒の姿が、岩本から上流へは姿を現わさぬことになった。これも私ら釣り人にはさびしい想い出である。
 海の鱒は、寒流に乗って北洋から回遊してきた。そして、太平洋側では北海道の諸川、陸中の閉伊川、北上川。陸中の阿武隈川。磐城の夏井川や鮫川。常陸国の久慈川に、那珂川などへ、早春の三月中旬頃、すでに河口めがけて遡ってくるのである。利根川も、同じことであった。
 だが、利根川は太平洋では、天然鱒の遡り込む西のはずれの川である。つまり、最後の川である。それは、寒流が銚子地先で遠く太平洋の沖合はるかに流れだしてしまい、房総半島方面には冷たい潮が赴かぬため、温かい潮を好まぬ鱒はそれを避けて沖合に泳いでいくからである。
 従って、昔から房総半島から西で、太平洋へ注ぐ川では、鱒の姿を見ないのだ。
 こんな歴史のある利根川へ、いまは天然鱒の姿を見ないのは、なさけないことだ。
 話は前に戻って、天然鱒が渓流で産卵をはじめると、その産卵場の下流へ、たくさんの山女魚やはやが集まってくる。それは、鱒が産卵するとき、卵がこぼれて流れてくるのを待っているのである。鱒は産卵が終わると、雄は放精しておいて、卵に砂をかけ外敵に荒らされぬように防ぐのであるが、鱒の親が去ると山女魚もはやも、その産卵場の砂をはねのけて卵を盗み食うのである。
 こんなわけで、秋がきたころ鱒の餌を用いると、山女魚もはやも素敵によく釣れた。
 私は、水戸に遊び住んでいたころ、漬物屋の店頭に、塩漬けの鱒の卵の入った樽を発見した。つまりイクラである。そのとき、ふと鱒の卵で山女魚とはやを釣った故郷の渓流を想いだしたのである。那珂川にいるはやも、鱒の卵を知らぬことはあるまいと考えたのである。
 試みに、漬物屋のイクラを那珂川へ持っていって、はや釣りをやったところが、盛んに釣れたのである。その後、天然鱒が遡らない東海道地方の渓流へ赴いて、イクラを餌にしたところ、山女魚が素晴らしく釣れた。これは、鱒の卵と、山女魚の卵と同じ質のものであろうからと思う。
 山女魚は、自分たち仲間が、産卵をはじめると、やはり鱒が産卵場についた場合と同じように、その卵を盗み食うのである。だから、全国いずれの川へ臨んでもイクラで山…

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