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命の鍛錬
いのちのたんれん
作品ID46834
著者関 寛
文字遣い旧字旧仮名
底本 「命の洗濯」 警醒社
1912(明治45)年3月23日
入力者田中敬三
校正者小林繁雄
公開 / 更新2007-07-23 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

      第一

余明治三十五年春四月、徳島を去り、北海道に移住す。是より先き、四男又一をして、十勝國中川郡釧路國足寄郡に流るゝ斗滿川の畔に牧塲を經營せしむ。明治三十七年戰爭起るや、又一召集せられ、故に余は代りて此地に來り留守を監督する事となれり。我牧塲は事業漸く其緒に就きしものにて、創業の困難に加ふるに交通の不便あり。三十七年一月大雪の害と、其七月疫疾の爲に、牛馬其半を失ひたるの災厄あり。其他天災人害蝟集し來り、損害を蒙る事夥しく、余が心を惱したる事實に尠からざるなり。此間にありて余が憂愁を掃ひ去り、心身を慰めたるものは、實に灌水なりとす。
數十年前より行ひ居れる灌水は、北海道に移住後、冬時と雖も怠りたる事あらず。此地には未だ井戸なきを以て、斗滿川に入りて行へり(飮用水も此川の水を用ゆ)。此地の冬季の寒威は實に烈しく、河水の如きは其表面氷結して厚さ尺餘に到り、人馬共に其上を自由に歩み得。冬時此河に灌水を行ふには、豫め身體を入るゝに足る孔穴を氷を破りて設け置き、朝夕此孔穴に身を沒して灌水を行ふ。
斗滿川は余が家を去る半町餘の處に在り。朝夕灌水に赴くに、如何なる嚴寒大雪の候と雖も、浴衣を纒ひ、草履を穿つのみにて、他に何等の防寒具を用ゐず。
冬曉早く蓐を離れて斗滿川に行き、氷穴中に結べる氷を手斧を以て破り(此氷の厚さにても數寸餘あり)身を沒し、曉天に輝く星光を眺めながら灌水を爲す時の、清爽なる情趣は、實に言語に盡す能はず。

      第二

昨三十七年十二月某夜の事なりき、例の如く灌水を了へて蓐に入り眠に就きし間もなく、何者か來りて余に七福を與ふと告げたりと夢む。痴人夢を説く、されど夢を見て自ら悟るは必ずしも痴人にあらざる可し。余は現今に於ても、將た未來に於ても、七福の來る可きを信ずる能はず。されど余が現状を顧みれば、既に七福を得たるにはあらざるかと思ふ。
一 災害に遇ふも驚かず。
二 患難に向ふとも悲まず。
三 貧しけれども餓ゑず。
四 老て勞を厭はず。
五 衣薄くも寒からず。
六 粗食にも味あり。
七 雨漏りにも眠を妨げず。
此等の七福を余は悉く灌水の徳に歸するものなり。
友人松井通昭氏吾七福を詠ずるの歌を寄せらる。左に録するもの此なり。
  一 災害に遇ふとも驚かず
災の起れる本を知る人は
     驚きもせずはた悲もせず
  二 患難に向ふとも悲まず
憂きつらき重ねかさねて今は世に
     かゝるものなき身こそ安けれ
  三 貧しけれども飢ゑず
雲に似たる富を何せんあはれ世の
     人もかくこそあらまほしけれ
  四 老て勞を厭はず
宜なりやかくありてこそ人として
     世に生つる甲斐はありけれ
  五 衣薄くも寒からず
此心あらずばいかに雪深き
     十勝の荒野住家定めん
  六 粗食にも味あり
早くより養ふものゝあればこそ
   …

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