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『煤煙』の序
『ばいえん』のじょ
作品ID4684
著者夏目 漱石
文字遣い新字旧仮名
底本 「漱石全集 第十六巻」 岩波書店
1995(平成7)年4月19日
初出「東京朝日新聞 文芸欄」1909(明治42)年11月25日
入力者砂場清隆
校正者小林繁雄
公開 / 更新2003-04-19 / 2014-09-17
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「煤煙」が朝日新聞に出て有名になつてから後間もなくの話であるが、著者は夫を単行本として再び世間に公けにする計画をした。書肆も無論賛成で既に印刷に回して活字に組み込まうと迄した位である。所が其頃内閣が変つて、著書の検閲が急に八釜敷くなつたので、書肆は万一を慮つて、直接に警保局長の意見を確めに行つた。すると警保局長は全然出版に反対の意を仄めかした。もし押切つて発売に至る迄の手続をしやうものなら、必ず発売禁止になるものと解釈して、書肆は引下つた。著者は已を得ず煤煙の切抜帳を抱いて、大に詰まらながつてゐた。
 所へある気の利いた男が出て来て、煤煙の全部を出版しやうとすればこそ災を招く恐れがあるので、そのうちの安全な部分丈を切り離して小冊子に纏たらどんなものだらうといふ新案を提出した。著者は多少思考を費した上、此説に同意して、直に煤煙の前半、即ち要吉が郷里に帰つて東京に出て来る迄の間を取敢ず第一巻として活版にする事に決心した。
 著者の選択した部分は、煤煙の骨子でない所から云へば、著者に取つて遺憾かも知れないが、安全と云ふ点から見れば是程安全な章はない。誰が読んだつて差支ないんだから大丈夫である。其上余の視る所では、肝心の後編より却て出来が好い様に思はれる。余は煤烟全部を読み直す暇がないので、判然した判断を下すに躊躇するが、当時の新聞は連続して欠かさず眼を通したものだから、未だに残つてゐる、其時の印象は、恐らく余に取つて慥かなものだらうと考へる。其印象を平たく他に伝へ得る様な言葉に引き延ばして見ると斯うである。――煤煙の後篇はどうもケレンが多くつて不可ない。非常に痛切なことを道楽半分人に見せる為に書いてゐる様な気がする。所が前半には其弊が大分少い。一種の空気がずつと貫いて陰鬱な色が万遍なく自然に出てゐる。此意味に於て著者が前篇丈を世に公けにするのは余の賛成する所である。
 此前篇の特色として、読者に注意したいのは、事件の充実と云ふ事である。それを少し布衍して云ふと、事件が走馬燈の如くに出てくると云ふ意味である。もう一つ外の言葉で説明すると、事件が発展的に叙せられないで、読者を圧迫する程ひし/\と並んで寄せ掛るのである。恰も金を接ぎ合せた様に寸分の隙間なく寄せてくる。従つて読者は息が継げない。事件に引き付けられて息が継げないと云つても嘘ではないが、実を云ふと、寧ろ苦しくつて息を継ぐ余裕を著書から与へられないのである。此状態は半ば事件其物の性質から出る事も序に注意したい。煤煙の主人公が郷里へ帰つてから又東京へ引き返す迄に、遭遇したり回想したりする事件は、決して尋常のものではない。悉く飛び離れて強烈な色采を有してゐるもの許である。要吉は犬の耳を塩漬にしてゐる女の夢を見たと書いてある。主人公は一場の夢に至る迄、何か天下を驚かす様な内容でなければ気が済まないのだとしか解釈出来な…

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