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哲学はどう学んでゆくか
てつがくはどうまなんでゆくか
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「三木清全集 第一巻」 岩波書店
1966(昭和41)年10月17日
初出「圖書」岩波書店、1941(昭和16)年3~5月
入力者石井彰文
校正者川山隆
公開 / 更新2008-02-12 / 2014-09-21
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 哲學はどう學んでゆくかといふ問は、私のしばしば出會ふ問である。今またここに同じ題が私に與へられた。然るにこの問に答へることは容易ではないのである。これがもし數學や自然科學の場合であるなら、どういふものから入り、どういふ本を、どういふ順序で勉強してゆくべきかを示すことは、或ひはそんなに困難ではないかも知れない。それが哲學においては殆ど不可能に近いところに、哲學の特色があるともいへるであらう。哲學は何であるかの定義さへ、立場によつて異つてゐる。立場の異るに從つて、入口も異る筈である。しかも哲學的知識には、端初が同時に終末であるといふやうなところがあるのである。それにしてもどこかに手懸りがなければ、およそ研究を始めることも不可能であるとすれば、その手懸りが何とか與へられなければならぬ。これはどこに求むべきであるか。立場の相違は別にして、およそ哲學といふものを掴んでゆく最初の手懸りは、どこに、どういふ風に探してゆくべきか。質問がそこにあるとして、私の乏しい經驗に基づいて、少し述べてみたいと思ふ。

       一

 いつも先づきかれるのは、哲學概論は何を讀めば好いかといふことである。何でも好いから一册だけ讀んでみ給へ、といつも私は答へるのである。といふ意味は、概論といふ名前に拘泥してはならぬといふことである。哲學概論と稱するもの、必ずしも哲學の勉強の最初の手引になるものではない。概論といつても哲學の場合、著者自身の立場が出てをり、著者自身の哲學への入門であつたり、著者自身の哲學の總括であつたりすることが多いのである。そのうへ概論といふもの、必ずしもやさしいとは限らない。世間には哲學概論と名の附く書物を幾册も買ひ込んで、それに頭を惱ましてゐる人があるやうであるが、愚かなことではないかと思ふ。哲學においては、概論書から入ることを必ずしも必要としないし、またそれが必ずしも最善の道でもないのである。初めに概論が讀みたいといふのなら、何でも一册でたくさんだといひたい。何でもといふのは、私はそれにあまり重きをおかぬといふことである。哲學上の用語の意味を知らうといふのなら、哲學辭典がある。またどのやうな説があり、どのやうな傾向があるかを知るには、哲學史に依らねばならぬ。もちろん私は決して哲學概論といふものを輕蔑するのではない。私がいひたいのはただ、順序として先づ概論の名の附くものを讀まねばならぬかの如く考へる形式的な考へ方にとらはれないといふことである。哲學に入る道はもつと自由なものと考へて好い。

       二

 私自身の經驗を話すと、高等學校の頃、哲學に關心をもち始めたとき、わが國にはまだ哲學概論と稱する種類の書物は殆ど見當らなかつた。私が哲學に引き入れられたのは西田幾多郎先生の『善の研究』によつてであつた。そして今も私はこの本を最上の入門書の一つであると思つてゐ…

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