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愛国百人一首に関連して
あいこくひゃくにんいっしゅにかんれんして
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「齋藤茂吉全集 第十四卷」 岩波書店
1975(昭和50)年7月18日
初出「東京日日新聞」1942(昭和17)年11月21日、「東京朝日新聞」1942(昭和17)年11月21日
入力者しだひろし
校正者染川隆俊
公開 / 更新2010-10-02 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

      ○
 選定の結果、數萬といふ資料の歌がただ百首になるのであるから、實に澤山の推薦歌が選に漏れたことになり、殘念至極であるけれども、これは大方君子の海容をねがはねばならない。
 選についての感想を問はれたが、自分としては特に申すことはない。ただその一、二を強ひて申すなら、萬葉集で、遣唐使隨行員の一人の母の作、『旅びとのやどりせむ野に霜ふらば吾が子はぐくめ天の鶴むら』の選ばれたのはたいへん氣持がよかつた。この歌はまことに純粹でよい歌だが愛國歌といふ上からは、どうなるか知らんと心配してゐたが、選定に入つたのはまことに氣持がよい。それから、紀清人の『天の下すでにおほひて降る雪の光を見れば貴くもあるか』といふ歌の選ばれたのもまたさうである。この歌も愛國歌といふ字面にこだはればどうかと思ふのであるが、作者の作歌動機をつきつめて行けば愛國の心に到るのであつて、これの選に入つたのも嬉しかつた。
 本居宣長の『さしいづるこの日の本の光よりこま唐土も春を知るらむ』、玉鉾百首中の歌などが落ちて結局、『しきしまのやまと心を人問はば朝日ににほふ山櫻花』が選定せられたのは、單にその場の群集心理に支配せられたといはうより、この歌の純粹性がその結論に導いたともいふことが出來るやうであつた。また宣長のこの歌が選ばれれば、眞淵の、『うらうらとのどけき春の心よりにほひいでたる山ざくら花』や、『唐土の人に見せばやみ吉野の吉野の山の山櫻花』が選に入つてもよささうに思はれるが、『大御田のみなわも泥もかきたれてとるやさ苗は我が君の爲』の選ばれたのは、農業増産に關係ある佳作であるので、委員は互に意識してこの歌を選定したのも一見識といふべきである。
 それから、徳川末期志士の歌が隨分選に入つたのも當然といふべくまことに喜ばしいことであつた。それから吉田松陰の『やむにやまれぬ大和魂』が殆ど決定してゐたのが最後になつて『とどめ置かまし大和魂』になつたのも熟慮の末になつた結果である。頼三樹三郎の『我が罪は』の歌も殆ど決定したが最後になつて落ちたのも道理があつた。
      ○
 愛國百人一首上代の部は記紀の歌には種々と檢考を經た結果一首も選定なく、萬葉集の歌からといふことになつた。萬葉集の歌も互に周到な意見が取交され、例へば、
皇は神にしませば赤駒のはらばふ田井を京師となしつ (大伴御行)
皇は神にしませば天雲の雷の上に廬せるかも (柿本人麻呂)
の二つとも豫選に入り、二つとも選定の價値あるもので、年代からいへば御行の方が先であるし上二句は同一であるといふやうなことで、二つとも選定しようといふ意見もあつたが、歌數の關係で人麻呂の方を採ることになつた。
 それから、選定した人麻呂の歌も、限定せられた愛國の概念からいふと、いろいろと議論もあるかも知れぬが、人麻呂の眞實純粹な奉歸一天皇の精神があらはれたも…

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