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赤い斑紋
あかいはんもん
作品ID46899
著者北条 民雄
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 北條民雄全集 下巻」 東京創元社
1980(昭和55)年12月20日
入力者Nana ohbe
校正者伊藤時也
公開 / 更新2010-10-22 / 2016-02-02
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 都美は、このごろ、夕暮になると、その少年に逢ひに行くのが、癖になつて、少年に逢はない日は、ホツケスに逢ふのも、嫌になつてしまつた。もともとホツケスが嫌ひではないのだが、西と東の感情の相違のために、その抱擁に全身をもつて、飛び込むには今一歩といふ心の焦立つ何かがあつた。それが彼女を淋しくした。三十に近くなつて、強烈なホツケスの愛情に身を任せながら、日本的な優しい愛情を、あこがれた。彼女は、子供の欲しくなつた自分を識つた。さういふ彼女は、時どき、何のためにその少年に逢ひ度いのか、考へても判らなかつた。

 少年は何時も、大きな欅の幹に凭れて、彼女を待つてゐた。彼女の姿が、林の向うに、ぽかんと浮んだ白い綿の一片のやうに、小さく見え出すと、胸のボタンを、一つびとつ、あらためて、息を早めた。さうすると、片頬に浮かんでゐる小さな斑紋が、朱の一点となつて、輝かしく紅らんだ。都美は、頬紅を際立たせたやうなその美しさに、心を奪はれた。初めてそれを発見した時、彼女は何と形容したら良いか、処女湖の波に、浮き、ゆらめいてゐる月影や、砂漠の彼方にいま沈まうとする太陽の赤さ――彼女は、こんな誇張した形容を幾つも考へて、心楽しく空想した。
 少年は、いつの時も、幾分声をふるはせて、
「お姉さん。」
 と彼女を呼ぶ。
「なあに。」
 さう返事をしても、たいてい、少年は、だまつて彼女の眼を見上げてゐる。

 その日、都美は、少年と歩きながら、昨夜のことを考へた。一時間も、時間を遅らせたのは、自分が悪いと思つたが、あんなに怒気を含めたホツケスの顔を思ひ出すと、無精に、にくらしかつた。思考の連想から昨夜の不愉快さが、蘇つて来ると、不意に少年を抱き上げて、頬に接吻した。
「さあ、お姉さんのお家へ行きませう。いや?」
 少年は、だまつて彼女に従つた。ホツケスを考へて今夜は行つてやるものか、と意地悪く、微笑んで
「アバンチュール!」
 と小さく叫んだ。
 彼女は、自分の部屋に帰つてから、妙に沈んだ少年の顔に、気が付いた。
「どうしたの?」
 だまつて、少年は下を、向いてゐる。
「帰りたいの?」
「ううん。」
「さう。そんなら、お姉さんと、エクレヤ、食べませう、ね。」
 だまつてゐたのに、不意に
「ぼく、病院、行くんだもの。」
「まあ、病院?」
「うん。お姉さんと、もう会へない。」
「どうして、なの? どこか、悪いの?」
「ぼく、知らないんだもの。どこが悪いのか、お父さんも、誰も教へてくれないもの。」
 それでは、胸でも悪いのか識ら? と考へたが、こんなに、頬が赤いのに、と、怪しんでも見た。
「早く良くなつて、又お姉さんの家へ来んのよ、忘れちやだめ!」
 といふと、少年は急に瞳を輝かせて
「病院から、手紙あげるよ!」

 少年が去つて、それから、都美は、ホツケスの腕の中で、少年の赤い斑紋を思ひ出すと、…

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