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重病室日誌
じゅうびょうしつにっし
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「定本 北條民雄全集 下巻」 東京創元社
1980(昭和55)年12月20日
初出「文學界」1937(昭和12)年4月号
入力者Nana ohbe
校正者富田晶子
公開 / 更新2016-09-22 / 2016-06-10
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 ×月×日。
 右腕の神経痛で七号病室へ入室した。空は陰気に曇つて今にも降り出しさうな夕暮である。室内は悪臭激しく、へどを吐きたくなる。送つて来てくれた舎の連中が帰つてしまふと、だんだんじつとしてゐるのが堪へられなくなる。入院した最初の日と全く同じ気持である。あの時、この入院第一日の印象は死ぬまで黒い核のやうに心の中に残るであらうと思つたのを思ひ出し、慄然とする。これは心の上にじゆッと焼きつけられた烙印のやうなものだ。
 夜。腕がづきづきと疼き、どうしても眠られぬ。腕を抱へてじつと我慢する以外にはどうしやうもないのだ。このやうな時はうんうんと呻くのだけが僅かの楽しみである。呻いてゐる自分の声といふものは奇妙になつかしいものである。

 ×月×日。
 朝、眼をさましたとたんにサッと朝日が射し込んで来た。足許の硝子戸越しに眺めると東南の空が炎のやうに真紅である。帯のやうに細長く横はつた雲が黄金色に輝きながら、幾條も重なり合つて徐々に流れ、その雲らの隙間から無数の紐になつた光線が放射されてゐる。
 が、間もなく曇り出して、朝食を終る頃にはもう昨日と同じやうに陰気な、重苦しい空になつてしまつた。自分は今日まで自然の美しさといふものを味つたことはめつたにない。それどころか、何時でも自然に脅かされ、自然に虐げられ、果ては自然といふと先づ憎悪を感じて来た。だから今朝のやうな空が失はれると、あと暫くの間は重苦しく不安でならぬ。
 十時頃外科出張あり。看護手その他が繃帯・ガーゼ等などを抱へてどやどやと這入つて来る。室内は膿臭でいつぱいになり、布団から顔を出してゐると息がつまりさうである。この病室には十四の寝台があるが、体に潰瘍や疵のないのは自分だけだ。右隣りにゐる李さんの如きは全身疵だらけで、文字通り満身創痍だ。両足共繃帯を除ると向う脛はべろりと皮がむけてゐて、真赤な肉が七八寸の長さで覗いてゐる。両腕共にその通りで、おまけに頭のてつぺんにまで疵がある有様だ。指も五本共べろりと皮がとれて、繃帯を巻いたあとはちやうど野球のミットをはめてゐるやうな恰好である。顔はどす黒く脹れ上つて、口がぐいッとひん曲つて、眼はもう薄明りだ。彼は飯を食ふ時には繃帯の間にフォークをさし込んで食ふ。「つくづく嫌んなつちやつた」と彼が言ふので、「いいかげんに死ぬんさ」と答へてやると、「思ふやうにや行かねえや」と笑ひもしない。「首でも縊るのさ」と突つぱねて自分は寝返りをうつた。話をする気にもならないのだ。

 ×月×日。
 不意に横で女の子の声がするので、寝たまま首をねぢ向けて見ると、例の「癩院記録」の中に書いて置いたハルちやんである。
「をぢちやん、どうしたの?」
「うん、神経痛だよ。」
 林檎を取り出して附添夫にむかせ、彼女にやると、小さな口で齧りながら出て行つた。

 ×月×日。
 昨夜午前まで眠れな…

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