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褐色の求道
かっしょくのぐどう
作品ID46923
著者岡本 かの子
文字遣い新字新仮名
底本 「岡本かの子全集2」 ちくま文庫、筑摩書房
1994(平成6)年2月24日
初出「宗教公論」1935(昭和10)年2、3月号
入力者門田裕志
校正者オサムラヒロ
公開 / 更新2008-11-05 / 2014-09-21
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 独逸に在る唯一の仏教の寺だという仏陀寺へ私は伯林遊学中三度訪ねた。一九三一年の事である。
 寺は伯林から汽車で一時間ほどで行けるフロウナウという町に在った。噂ほどにもない小さな建物で、町外れの人家の中に在った。流石に其処だけは自然に土盛りが高くなっていて、多少の景勝の地は占めている。その隆起の峯続きを利用して寺の主堂、廊、翼堂と建て亘したのであった。門は直ぐ道路のペーヴメントに沿うて建てられてあったから、この入口から寺の玄関まで、およそ愛宕山の三分の一ほどの登り坂になるわけである。
 大げさに言えば此処の宗祖――とも言うべき寺のあるじのダルケ氏は、もう歿して居ないのである。あとを預って居るダルケ氏の妹で中年の普通の独逸女が案内して廻って著書などを売る。その管理の女に様子を訊いたり、買った著書を少し繰って見たりしたけれども、此の寺の創立者に到底本筋の仏教の知識や心験があったようには思われない。例の印度から直接独逸に取入れられた原始経典にいささか触れるところがあり、それに西洋人得意の独断を交えて自己満足の宗教を考え溜めたものらしい。もっともこの宗祖には師匠に当るやはり独逸人の老人がいたのだが、犬に噛まれたのが元で死んでしまったという話を聴かされた。宗祖には他に弟子も無いのだからダルケの宗門は断絶し、今はこの寺だけが遺身にのこっているわけである。少し離れて建っている斎戒沐浴のため使ったという浴堂のまわりに木の葉が佗しく掃き積っていた。
 宗祖が東洋の事にあまり明るくなかった証拠は寺の建物の趣きにも知られる。それは印度風でもなし、支那風でもなし、人によっては回教の寺とも思わしめるほど、およそ東洋の寺院とは縁遠い様式である。数寄の者の建てたエキゾチックな別荘――一口に斯う言ってしまった方が早いようである。従って中にある什具も国籍不明のちぐはぐなもので、数も少ない。ただ本堂と覚しき多角形の広間の、ひと側の中央に漢字で彫った法句経の石碑が床の上に屹立して礼拝の標的を示している。この部屋は、光線の取り方も苦心をして幽邃を漂わせているから、此処こそ参詣者の額ずく場所と、私も合点して合掌したのであった。
 そんなわけで私は失望しながら、日本人の名前の沢山書いてある参詣者記念名簿に私も義務だけにペンで名前を書入れて帰った。

 寺は気に入らなかった。然し町は気に入った。名も無いフロウナウの町は平凡そのもののようであった。几帳面に道路に仕切られ、それに思い思いの住宅が構えられていた。伯林から一時間で通える道程なのだから、住民の多くは伯林に職を持つ中小の勤人であろう。
 恐らく伯林市から離れて近郊に住宅を持つ勤人の遠距離の住宅地の一つなのであろう。それ故に田舎町にしては小ざっぱりとして閑かであった。たとえ道を訊くためにドアのベルを鳴らしても出て来る家族は、不愛想な顔もせず、表まで出…

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