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健康三題
けんこうさんだい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「岡本かの子全集2」 ちくま文庫、筑摩書房
1994(平成6)年2月24日
初出はつ湯「レッェンゾ」1935(昭和10)年1月号、春の浜別荘「週刊朝日」1935(昭和10)年3月31日、ゆき子へ「令女界」1935(昭和10)年7月号
入力者門田裕志
校正者オサムラヒロ
公開 / 更新2008-11-05 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

     はつ湯

 男の方は、今いう必要も無いから別問題として、一体私は女に好かれる素質を持って居た。
 それも妙な意味の好かれ方でなく、ただ何となく好感が持てるという極めてあっさりしたものらしかった。だから、離れ座敷の娘が私に親しみ度い素振りを見せるに気が付いても一向珍らしいことには思わなかった。仕事でも片付いたらゆっくり口が利ける緒口でもつけてやろう。単純にそのくらいの察しを持合せていた。
 女中の言うところに依ると、その娘は富裕な両親に連れられて年中温泉めぐりをして居る所謂温泉場人種の一人だった。両親が年老いてから生れた一人娘なので大事にし過ぎるせいもあり大柄の身体の割合いに生気が無く、夢見るような大きな瞳に濃い睫毛が重そうにかぶさっている。私は暮の二十五日に此の宿へ仕事をしに来て湯に入る暇も無く強引にペンを走らせている。障子の開け閉てにその娘が欄干に凭れて中庭越しにこっちの部屋を伏目で眺めて居る姿が無意識の眼に映るけれども、私はそれどころでなく書きに書いて心積りした通り首尾よく大晦日の除夜の鐘の鳴り止まぬうちに書き上げた。さて楽しみにした初湯にと手拭を下げて浴室へ下りて行った。
 浴槽は汲み換えられて新しい湯の中は爪の先まで蒼み透った。暁の微光が窓硝子を通してシャンデリヤの光とたがい違いの紋様を湯の波に燦めかせる。ラジオが湯気に籠りながら、山の初日の出見物の光景をアナウンスする。
 湯の中の五六人の人影の後からその娘の瞳がこっちを見詰めている。今はよしと私はほほ笑んでやる。するとその娘はなよなよと湯を掻き分けて来て、悪びれもせず言う。
「お姉さま、お無心よ」
「なあに」
「お姉さまの、お胸の肉附のいいところを、あたくしに平手でぺちゃぺちゃと叩かして下さらない? どんなにいい気持ちでしょう」
 私はこれを奇矯な所望とも突然とも思わなかった。消えそうな少女は私の旺盛な生命の気に触れたがっているのだ。私は憐み深く胸を出してやる。

     春の浜別荘

 暮から年頭へかけて、熱海の温泉に滞在中、やや馴染になった同じ滞在客の中年の夫婦から……もしここを引揚げるようだったら、五日でも十日でも自分のところの別荘へ寄ってそこにいる娘と一緒に暮しては呉れまいかと、たっての頼みを私は受けた。
 私は自分では何とも思わないのに、異ったところのある女と見え、よくこんな不思議な頼みを人から受ける。念のため理由を夫婦に訊いてみると、「あたたのような気性を、是非娘に写して置き度いから」というのである。私はむっとして、「模範女学生じゃあるまいし」と、つい口に出していってしまったが、夫婦の強請み方はなかなかそのくらいでは退けようもなく、また私自身書きものの都合からいっても何処かところを換え、気を換える必要があったので、遂々温泉滞在を切り上げ、夫婦に連れられて汽車に乗り、娘のいる…

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