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無題Ⅱ
むだいに
作品ID46976
著者北条 民雄
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 北條民雄全集 上巻」 東京創元社
1980(昭和55)年10月20日
入力者Nana ohbe
校正者フクポー
公開 / 更新2018-06-07 / 2018-05-27
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 この部屋には東と北とに窓がある。しかしそれはずつと天上に近い上の方にあるので、太陽の光線は朝の間にほんのちよつと流れ込んで来るだけで、あとは一日中陰気な、物淋しい、薄暗い部屋だ。おまけにこの部屋は動物小屋の内部にあつて、すぐ壁一つ向うの土間続きには、猿や、モルモットや、家兎や、山羊や、二十日鼠などが、朝から晩まで箱の中で、泣いたり喚いたりごとごとと箱の板にぶつかつたりして騒いでゐる。だから部屋の中はそいつらの糞の臭ひがいつぱい沈澱してゐて、慣れないうちは息がつまりさうなほどだ。私はこんな部屋の中で、もう二年も前から、じつと坐り続けてゐる。
 部屋の中には、書物や、湯呑や、紙くづや、その他一切のがらくた物がいつぱい散らかつてゐるので、まるで掃溜のやうなものだ。空気は何時でもじめじめして、なんだか顔や手にねばりついて来るやうな感じがする。この間も、知合ひの医者がやつて来て、(彼は自分が試験中の猿を診に来たのだ)こんな不潔な部屋にゐては肺病になつてしまふから、もう動物どもの番人はやめろと注意してくれたほどである。しかし私は、もうどんなことがあつたつて、この部屋からは出ないつもりだ。私はこの部屋が、近頃ではなんとなく気に入つてゐるのだ。それに、肺病くらゐがなんだらう。口から血でも吐いたら、かへつて楽しみが増すくらゐのものではないか。実際、私のやうな、陰気な、孤独な人間に、これ以上ぴつたりした部屋がどこにあるだらうか? 世界中を金の草鞋で探しても、多分ありはしないであらう。おまけに癩病院の中だから尚更のことではないか。
 もつとも、私だつて昔はこんな風ではなかつた。元来、孤独な、人好きのしない性質だつたらしいけれども、まだ幾らかはましなところがあつた。しかし近頃では、もうすつかり誰とも交はりを断つてしまつた。今では、誰も彼も私を変人あつかひにするし、どうかすると、気違ひだといふ者さへも現はれるほどになつてしまつた。しかし結局、私はこれを何とも思はないのみか、こつそりひそかに喜んでさへもゐるのだ。実際のところ、人にちやほやされたり、愚劣な世間話を仕掛けられたりすることほどに、にがにがしいことがあるだらうか? こちらが、気も狂はんばかりに懊悩してゐる時に、そんな会話を交さねばならないほど腹の立つことはないのだ。さういふ時私は、何時でも相手の顔に唾でも吐きかけてやりたいほどの憎悪を覚える。で、とどのつまりこの部屋の中で、朝から晩まで、唯一人きりで坐つたり、時々室内を歩き廻つて見たりするやうになつてしまつたのだ。
 と言つて、一日中、私は何をするといふ訳でもない。仕事は一日に二回、猿やモルモットに餌をやるだけだ。これも、初めのうちは一日に三回やつてゐたのだが、面倒くさいので一回減らしてしまつたのだ。そのため動物共は、二回にした当時は荒れ廻つたり、悲鳴を発したり、鉄格子に縋り…

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