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スワデシの誓
スワデシのちかい
作品ID47020
著者ガンジー マハトマ
翻訳者福永 渙
文字遣い旧字旧仮名
底本 「ガンヂーは叫ぶ」 アルス
1942(昭和17)年6月20日
入力者田中敬三
校正者小林繁雄
公開 / 更新2007-06-17 / 2014-09-21
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

       一

 現今印度の大衆を皷舞しつつあるスワデシの希望は、あらゆる讃辭に値ひするが、彼等はそれが實行の途上に横はつてゐる困難を十分に認識してゐないやうに私は思はれる。誓ひはいつでも成就の困難でない事柄に關してのみなさるるものだ。何事かを爲さんとして、努力を續けた後で失敗する時、これを成就せんとの誓ひを立て、背水の陣を布くならば、吾々はその誓ひから釋放され得ないから、失敗を避けることが出來るのである。かかる斷乎たる決心に達せざるものは、誓ひと呼ぶことが出來ない。吾々が何事かを爲す場合に、出來るだけやつて見ようと云ふのは誓約でもなければ誓言でもない。スワデシの條件を出來るだけ守らうと云へば、スワデシの誓ひを立てたことになるのなら、總督から勞働者に至る大勢の人民の中で、スワデシの誓ひを立てないものは極く少數となるであらう。しかし、吾々はかかる範圍を拔け出して、一層高い目的を目指したいのだ。吾々が考へるやうな行爲と、上に述べたやうな行爲との間には、直角と鋭角の相違のやうに大變な相違があるのだ。そして、吾々がこの精神をもつてスワデシの誓ひを立てるならば、大なる誓を立てることは、ほとんど不可能に近いことが明かとなるであらう。
 長年の間この問題に關して熟考した結果、私が自ら完全に論證し得ることは、吾々は吾々の衣服に關してのみ――木綿、絹、毛織物の如何を問はず――十分なスワデシの誓を立て得るといふことである。この誓ひを守るに當つても、吾々は初めの間は多くの困難に出遭はねばならぬのであつて、それは當然のことである。
 吾々が外國製織物を擁護するのは、深い罪を犯すことになるのだ。農業に次いで重要なる職業を吾々が見棄てたので、吾々はカビール(印度聖典中の詩人にして紡織者)がそれがために生れ、それを潤飾したところの職業の大分裂と面接しなければならぬのだ。
 私の考へによれば、スワデシの誓ひは、この誓ひを立てることによつて贖罪を爲さんとする吾々の希望や、ほとんど失はれたる手織機業の復興を計らんとする吾々の希望や、毎年外國製布との交換によつて失はるは印度貨幣一千萬ルピーの節約を計らんとする吾々の決心を意味するのだ。かかる大なる目的は、困難を伴はずには達せられないし、當然その途中に障碍があるのだ。容易に手に得られるものは、實際に價値のないものである。その誓約を守ることがいかに困難であつても、吾々がわが國を十分向上せしめんと欲するならば、いつの日かその誓約をなさずにはゐられないのである。そして、純國産の衣類のみを用ひ、外國製布を用ひざることが宗教的義務であると思惟する時に、吾々は初めてこの誓ひを果すのだ。
        性急な擴張
 友人たちは私に向つて、現在吾々は國産織物のみをもつて吾々の需要を充すに足りないし、現在の工場は僅少で、この目的に應ぜられないと云つてゐる。私は…

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