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国文学の発生(第二稿)
こくぶんがくのはっせい(だいにこう)
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「折口信夫全集 1」 中央公論社
1995(平成7)年2月10日
初出「日光 第一巻第三、五、七号」1924(大正13)年6、8、10月
入力者野口英司、門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2008-06-17 / 2014-09-21
長さの目安約 58 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

   呪言の展開

     一 神の嫁

国家意識の現れた頃は既に、日本の巫女道では大体に於て、神主は高級巫女の近親であつた。併し、其は我々の想像の領分の事で、而も、歴史に見えるより新しい時代にも、尚村々・国々の主権者と認められた巫女が多かつた。
神功皇后は、其である。上古に女帝の多いのも、此理由が力を持つて居るのであらう。男性の主権者と考へられて来た人々の中に、実は巫女の生活をした女性もあつたのではなからうか。此点に就ての、詳論は憚りが多い。神功皇后と一つに考へられ易い魏書の卑弥呼の如きも、其巫女としての呪術能力が此女性を北九州の一国主としての位置を保たして居たのであつた。
村々の高級巫女たちは、独身を原則とした。其は神の嫁として、進められたものであつたからだ。神祭りの際、群衆の男女が、恍惚の状態になつて、雑婚に陥る根本の考へは、一人々々の男を通じて、神が出現してゐるのである。
奈良朝の都人の間に、踏歌化して行はれた歌垣は、実は別物であるが、其遺風の後世まで伝つたと見える歌垣・[#挿絵]歌会(東国)の外に、住吉の「小集会」と言うたのも此だとするのが定論である。
だから、現神なる神主が、神の嫁なる下級の巫女を率寝る事が普通にあつたらしい。平安朝に入つても、地方の旧い社には、其風があつた。
出雲・宗像の国造――古く禁ぜられた国造の名を、尚称しては居たが、神主としての由緒を示すに止まつて、政権からは離れてゐた――が、采女を犯す事を禁じた(類聚三代格)のは、奈良朝以前の村々の神主の生活を窺はせるものである。采女は、天子の為の食饌を司るもの、とばかり考へられてゐるが、実は、神及び現神に事へる下級巫女である。
国々の郡司の娘が、宮廷の采女に徴発せられ、宮仕へ果てゝ国に還ることになつてゐるのは、村々の国造(郡司の前身)の祀る神に事へる娘を、倭人の神に事へさせ、信仰習合・祭儀統一の実を、其旧領土なる郡々に伝へさせようと言ふ目的があつたものと推定することは出来る。現神が采女を率寝ることは、神としてゞ、人としてゞはなかつた。日本の人身御供の伝説が、いくらかの種があつたと見れば、此側から神に進められる女(喰はれるものでなく)を考へることが出来る。
その為、采女の嬪・夫人となつた例は、存外文献に伝へが尠い。允恭紀の「うねめはや。みゝはや」と三山を偲ぶ歌を作つて采女を犯した疑ひをうけた韓人の話(日本紀)も、此神の嫁を盗んだ者としての咎めと考へるべきものなのであらう。此事が、日本に於ける初夜権の実在と、其理由とを示して居る。出雲・宗像への三代格の文は、宮廷にばかり古風は存して居ても、民間には、神と現神とをひき離さうとする合理政策でもあり、文化施設でもあつたのだ。
地物の精霊の上に、大空或は海のあなたより来る神が考へられて来ると、高下の区別が、神々の上にもつけられる。遠くより来り臨む…

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