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雪の宿り
ゆきのやどり
作品ID47034
著者神西 清
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本幻想文学集成19 神西清」 国書刊行会
1993(平成5)年5月20日
初出「文藝」河出書房、1946(昭和21)年3、4月合併号
入力者小林繁雄
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2008-01-01 / 2014-09-21
長さの目安約 53 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 文明元年の二月なかばである。朝がたからちらつきだした粉雪は、いつの間にか水気の多い牡丹雪に変つて、午をまはる頃には奈良の町を、ふかぶかとうづめつくした。興福寺の七堂伽藍も、東大寺の仏殿楼塔も、早くからものの音をひそめて、しんしんと眠り入つてゐるやうである。人気はない。さういへば鐘の音さへも、今朝からずつととだえてゐるやうな気がする。この中を、仮に南都の衆徒三千が物の具に身をかためて、町なかを奈良坂へ押し出したとしても、その足音に気のつく者はおそらくあるまい。
 申の刻になつても一向に衰へを見せぬ雪は、まんべんなく緩やかな渦を描いてあとからあとから舞ひ下りるが、中ぞらには西風が吹いてゐるらしい。塔といふ塔の綿帽子が、言ひ合はせたやうに西へかしいでゐるのでそれが分る。西向きの飛簷垂木は、まるで伎楽の面のやうなおどけた丸い鼻さきを、ぶらりと宙に垂れてゐる。
 うつかり転害門を見過ごしさうになつて、連歌師貞阿ははたと足をとめた。別にほかのことを考へてゐたのでもない。ただ、たそがれかけた空までも一面の雪に罩められてゐるので、ちよつとこの門の見わけがつかなかつたのである。入込んだ妻飾りのあたりが黒々と残つてゐるだけである。少しでも早い道をと歌姫越えをして、思はぬ深い雪に却つて手間どつた貞阿は、単調な長い佐保路をいそぎながら、この門をくぐらうか、くぐらずに右へ折れようかと、道々決し兼ねてゐたのである。
 ここまで来れば興福寺の宿坊はつい鼻の先だが、応仁の乱れに近ごろの山内は、まるで京を縮めて移して来たやうな有様で、連歌師風情にはゆるゆる腰をのばす片隅もない。いや矢張り、このまま真すぐ東大寺へはいつて、連歌友達の玄浴主のところで一夜の宿を頼まうと、この門の形を雪のなかに見わけた途端に貞阿は心をきめた。
 玄浴主は深井坊といふ塔頭に住んでゐる。いはゆる堂衆の一人である。堂衆といへば南都では学匠のことだが、それを浴主などといふのは可笑しい。浴主は特に禅刹で入浴のことを掌る役目だからである。しかし由玄はこの通り名で、大華厳寺八宗兼学の学侶のあひだに親しまれてゐる。それほどにこの人は風呂好きである。したがつて寝酒も嫌ひな方ではない。貞阿のひそかに期するところも、実はこの二つにあつたのである。

 その夜、客あしらひのよい由玄の介抱で、久方ぶりの風呂にも漬り、固粥の振舞ひにまで預つたところで、実は貞阿として目算に入れてなかつた事が持上つた。雪はまだ止む様子もない。風さへ加はつて、庫裡の杉戸の隙間から時折り雪を舞ひ入らせる。そのたびに灯の穂が低くなびく。板敷の間の囲炉裏をかこんで、問はず語りの雑談が暫く続いた。
 貞阿は主人の使で、このあひだ兵庫の福原へ行つて来た。主人といふのは関白一条兼良で、去年の十一月に本領安堵がてら落してやつた孫房家の安否を尋ねに、貞阿を使に出したのである。兵…

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