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狂人日記
きょうじんにっき
著者
翻訳者秋田 滋
文字遣い新字新仮名
底本 「墓場稼ぎの売笑婦」 暁書房
1949(昭和24)年6月1日
入力者京都大学電子テクスト研究会入力班
校正者京都大学電子テクスト研究会校正班
公開 / 更新2010-08-21 / 2014-09-21
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 彼は高等法院長として、清廉な法官として世を去った。非の打ちどころのないその生涯は、フランス中の裁判所の評判になった。弁護士、若い法律顧問、判事たちも、二つの凹んだ眼が光っている彼の痩せた顔に、大きな敬意を表するために、非常に低く頭を下げて挨拶をしたものだった。
 彼は犯罪を追求して弱いものを保護することを生涯の仕事とした。詐欺師や殺人犯人達にとって、彼ほど怖いものは無かった。という訳は、心の底にかくしている考を見破られ、一と眼で肚の中をすっかり見られてしまうからであった。
 それゆえ、彼は、八十二歳で、人びとの尊敬の的となり、[#「、」は底本では「。」]全国民の哀悼のうちに亡くなったのである。その亡躯は、赤いズボンをはいた兵士達に護られて墓へ運ばれ、白いネクタイをかけた人たちが、彼の棺に、哀惜の言葉と、心からの涙を注いだのである。
 ところが、その死後、いつも彼が、重罪犯人の訴訟記録をしまっていた事務机の中から、悲歎にくれた公証人が、次のような、奇怪な書きものを見つけ出した。
 それにはこんな題がついていた。
 なぜか?

 一八五一年六月二十日――
 私は会議室から出た。私はブロンデルを死刑にした。彼はなぜ自分の五人の子を殺害したのだろう。なぜだろう。生命を絶つことが一つの快楽であるような人がよくある。そうだ、そうだ、それは一つの快楽なのだ。快楽の中でおそらく最大のものであるに違いない。という訳は、殺すということが、創り出すということに一番好く似ているからではなかろうか。つくること、滅すこと、この二つの言葉は、この世界のあらゆるものの経歴を、存在するすべてのものを含んでいる。殺すということは、なぜ、人の心を酔わせるのだろう。
 六月二十五日――
 生きものが、彼方にいて、生き、歩き、走っていると考えてみる。……生きもの? 生きものとはなんであろう。そのもの自体の中に運動の原動力と、その運動を調節する意志とを有する、魂があるもの。それは何ものにも係りを持たない。その足と大地との間には何のつながりも無い。地上にうごめく生命の一片。しかも、どこから来たのか、とんと見当がつかぬその生命の一片は、思いのままに滅ぼすことが出来るのだ。滅ぼせば、何も無くなってしまう。完全に無くなってしまうのだ。腐ってしまえばそれが終りだ。
 六月二十六日――
 殺すということがなぜ犯罪になるのだろう。本当に、なぜだろう。それは自然の法則であって、すべてのものは、殺すことを仕事としている。生きんがために殺すこともあり、殺すために殺すこともある。――殺すということは、もともと、われわれの気質の中にあるものなのだ。殺さずにはいられないのである。禽獣は、絶えず、毎日、生活の各瞬間に殺しているのだ。――人間は自らを養うために、絶えず何かを殺しているのだが、また、快楽のためにも殺す必要があるので…

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